ゆつくりあゆむ   桝屋善成

  • 投稿日:2018年03月03日
  • カテゴリー:短歌

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ゆつくりあゆむ   桝屋善成

ふと見ればうすくれなゐの雲がゆく夕方の空 ことば忘れよ
夕方のひかりを誰かの優しさとおもひつつ浴びゆつくりあゆむ
いくつもの約束果たさないままにけふもゆふづつあふぎて終へん
夕方から夜へと時がうつろひて落ち度なき生すこしだけ乞ふ
生乾きのタオルと思へる一日をどうにか終へて夜の香をかぐ
夜の卓の上なる果実また明日もだれかがだれかのために捥ぐはず
輪郭のもろさをやどすくだものが置かれし卓のうへにある夜
柑橘のかをりはわれにまつはりし毀誉褒貶を無いことにする
夕方に見上げし雲のやうに燃ゆたつたひとつの歌つくりたし
室外機だけがしづかにひびく夜ひとを恨むのはいけないことだ
にくたいは脆い、呷りしウオトカが一気にのどを灼きつつくだる
つきしろよ聖なるものしか照らすなと願ひあふげば虚しくはなし
完璧な影を落として木の椅子が部屋にあるべきものとしてある
今宵もまた同じところに影は落ち秩序はゆるくゆるく守られぬ
フラナリー・オコナー書きし短篇をさすがにきついと思ひつつ読む
ぬるき湯につかりをるとき夕雲のあかるさばかりが思ひだされて
すこしづつうしほが満ちてゆくやうな目覚めに内なる渚はなやぐ
痰ひかる通勤の道ほんたうはみんな気づいてゐるはずなのに
きぞ読みし海彼のをみなの著しし短篇に充つほむらのにほひ
はるかなる物語として火の爆ぜる音聞くときにふるへたる耳

桝屋善成
未来短歌会所属
二〇〇〇年度未来年間賞
歌集『声の伽藍』(ながらみ書房・二〇〇二)

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