大口玲子の問い、そして結論~第四歌集『トリサンナイタ』を読む~
きみに会ひ東京の春捨てしより十年間の桜つもれり 「トリサンナイタ」
咲き満てる桜さへづりをこぼすたび子もさへづりぬトリサンナイタ
先月刊行された大口玲子の第四歌集『トリサンナイタ』に、改めて大口玲子という歌人の真骨頂を見た。
あとがきに、
「二〇〇五年の末から二〇一二年一月までに発表した作品より選んで、第四歌集をまとめました。この六年の間に、受洗、出産、仙台から宮崎への移住という、私個人にとっては大きな変化がありました」
とある。先月の時評でも取り上げたように、東日本震災以降、それまで暮らしていた仙台を離れて九州へと避難した大口の作品は震災以降、大いに注目を集めた。三部構成となっている本歌集も第三部は震災発生から夫と離れ、わが子を連れて宮崎へと避難し、新しい生活が始まったところまでが収められている。
今となりて思へばいつときの揺れなりきそののちの時間長く続けり 「静けかりけり」
晩春の自主避難、疎開、移動、移住、言ひ換へながら真旅になりぬ 「逃げる」
第三部の「静けかりけり」に収められているこの一首目をはじめ、震災直後の角川「短歌」6月号に発表された「消息」、仙台からの避難の様子を歌った「逃げる」など、どの連作もそれぞれの場面での臨場感にあふれ、現在も続く大口の様々な恐怖や悲しみ、怒り、不安、が凝縮されている。では、震災前はどのように歌われているのか。
ケセン語訳聖書読まばやわが裡にたつたひとりのイエス立たしめ「人喰ふ鮫、鮫喰ふ人」
「あらばき」と唾とばして言ふときの馬の眼をもつ古代の女 「小正月」
第一部より二首。「ケセン語訳聖書」とは、仙台市からほど近い気仙沼の方言で訳された聖書のこと。言語学的にも非常に珍しく、面白い試みであり、方言研究の資料でもある。日本語教師であり、東北に移り住み、そこでキリスト教と出逢った大口にとって、この特別な聖書はその不思議な巡りあわせの象徴的な存在なのかもしれない。二首目の「あらばき」は、やはり多賀城市にある「アラハバキ神社」に出逢っての歌であろう。土地に古くから伝わる民間信仰の神を通して、この土地に荒々しくも力強く生きていたであろう「女」に、自らも同じ「女」として思いを馳せている。
子を連れず街を歩けばママ友はわれと気づかず過ぎてゆきたり 「なまはげよりも」
紙袋に乳児捨てられし記事を読みその重さありありと抱きなほす 「草原の聖母」
塵でありつひには塵に還る子よスープにちぎつたパンをひたせり 「つひには塵に」
第二部でどきりとさせられるのは、母となった喜びやわが子への手放しの愛情だけではなく、初めて母となった不安や戸惑い、さらには育児疲れについても積極的に歌われていることではないだろうか。
一首目、子どもが生まれれば、自分の名前ではなく「○○ちゃんのお母さん」と呼ばれる機会がほとんどになる。いつも子どもと一緒に会っている「ママ友」は、子どもがいなければ自分の存在に気づかない。一人の人間として生きてきた自分が、「母親」になってから消えてしまったかのような奇妙な感覚。育児に悩みを抱え、子どもを捨ててしまったり殺してしまったりする母親については「吾亦紅」という連作でさらに集中的に歌われているのだが、二首目で大口が歌うのは「私も一歩間違えたらこの母親と同じ立場になってしまうのではないか、そんな不安と闘いながらこの子を育てているのだ」という正直な告白であり、なおかつ現代の日本の深刻な社会問題である。三首目で歌われているのもやはり、母となったもののわが子の存在をどこか受け止めきれず、その命の不思議や儚さを想いながら見つめている大口自身の心だろう。
大口玲子には第一歌集『海量』以来、これらの不安や戸惑いも含めた生々しい自分の姿を冷徹なまでに見つめ、考え、歌い続けている問いがある。それは、「生きる」とはどういうことなのか、ということではないだろうか。食べて、眠って、家族を愛し、そしてものを思う。はるばると広がる大きな世界、そして連綿と続く時間の中にある自分の存在とは、何なのか。なぜ、今ここにいるのか。女であるということ、妻であるということ、そして母になったということは、それぞれどういうことなのか。シャープな視線で歌われる現代の日本社会の諸相は、「世界」や「時間」へと思想を深めるためのたくさんのドアである。
そして、東日本大震災と原子力発電所の事故を経たこの第四歌集によって、おそらく大口はこの問いに対するひとつの結論を出した。
結論は出さなくていい、という結論である。夫と共にわが子を守りながら、何としても「生きる」のだ。理屈ではなく。
作者紹介
- 齋藤芳生(さいとう・よしき)
歌人。1977年福島県福島市生まれ。歌林の会会員。歌集『桃花水を待つ』角川書店