緑雨向き 鈴木東海子

鈴木詩131108

緑雨向き 鈴木東海子

糸すじのひとはなのきんいろが年月のように 
のびて冷たいのである。
どの時からおりてきたのだろうか。きんいろ
は一度にふりつもる小粒の小さいのはずであ
った一日の香り分けがここまでも来ている。
花冠のかたちに光っている花飾りはどの懐か
しさに届けばいいのかとどまる香りの強さで
ある。
わたしたちの庭は緑色にあふれている。
わたしたちの緑景は静かだ。
緑葉をはむ音がする。
私語のように。
葉縁をはむ歯のかたちは夏向きの続きである。
秋向きの水玉模様は庭にちらばり虫たちの飛
行先になる。
それでも燈りのような橙いろの小粒たちは四
羽をひろげて咲くのである。
羽のかさなりは群をなすしがみつきでもあり
どこまでも物語のようにすじみちをつけてみ
せたいのだがその不解読なすじが細くのびて
いるのだ。
ここから受けとってもいいのだろうか。
このすじみちはわたしたちのみちなのだろう
かと見上げるときんいろの影が横ぎるのであ
る。
通りすぎるすじみちであるとすればつれてく
ることもない。のであるか。
語ることのできる花がここにあり雨物語りを
もつれておいで。
 
∧遅い涙のようね。
∧こらえていたね。
 
ひとことがひとすじでひとながれになって。
こぼす涙雨のようにして。
きんいろの影が悲のいろ分けではないという
ように輝く木はここに立つ。

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