日めくり詩歌 俳句 高山れおな (2011/8/2)

二十三番 滝に落ちる

左持

朝の滝さあ落ちやうぜ出発だ 御中虫

一滴の我一瀑を落ちにけり 相子智恵


自らが滝に落ちるという構図を共有する両句だが、しかし似ているのはそこまでのようだ。

そもそも左句において「朝の滝」は最初から比喩である。出発しようとする自らへの鼓舞と、その誇らかな出発とはすなわち落ちることだという破れかぶれのポーズの提示に主眼がある。さらに、「朝」とわざわざ時間が限定してあるのは、その「出発」とやらが実は出勤なり登校なりの日常のひとこまに過ぎないことを暗示してもいよう。たかが出勤、たかが登校に、これだけの言葉を動員するのを作者一流の稚気と取ってもいいし、あるいはそれしきの日常すらがある精神的な重さのもとで過ぎてゆく状況を想定することもできる。

これに対して、右句の方は端的に滝を詠んだ作である。〈兎に角、自然に魅惑されるといふことは怖ろしいことだ。〉とは、句集『百戸の谿』に見える飯田龍太の有名な自序だが、滝という自然の魅惑する力を、独自のことばで言い止めたのが右句ということではないだろうか。滝を間近にして自分の卑小さを感じたり、吸い込まれるような気分になったりするのは誰もが経験することだが、それを「一滴の我」が「落ち」てゆくイメージにまで飛躍させたところに手柄がある。「一滴」と「一瀑」という言葉の対比が生み出すきびきびした調子も快い。

それぞれに力強く魅力的な句であり、かつ方向性を余りにも異にするため、勝敗は決め難い。持。

季語 左右ともに滝(夏)

作者紹介

  • 御中虫(おなか・むし)

一九七九年生まれ。二〇一〇年、第三回芝不器男俳句新人賞受賞。掲句は、同賞受賞記念句集『おまへの倫理崩すためなら何度(なんぼ)でも車椅子奪ふぜ』(二〇一一年 財団法人愛媛県文化振興財団)より。

  • 相子智恵(あいこ・ちえ)

一九七六年生まれ。一九九五年、小澤實に師事。「澤」創刊とともに入会。二〇〇九年、第五十五回角川俳句賞受賞。掲句は、『新撰21』(二〇〇九年 邑書林)より。

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