日めくり詩歌 短歌 高木佳子(2012/12/31)

 

冷えきつたおまへの体を親鳥のやうに抱けり雪の降る夜     本田一弘

 

『銀の鶴』(2000年 雁書館)より。

 清冽な叙情をたたえたこの第一歌集が世に出てからもう12年にもなるのだと思う。表紙の絵は小紋潤氏による美しい羽根と紫のアネモネに彩られている。版元の雁書館がその役目を終えて失われている今となっては、この手元にある一冊も貴重なものであるのだろう。
 この歌集には、一人の若い男性の、荒々しくもみずみずしい青春歌が数多く収められている。

 未来とふ今日も見えざる敵のゐてひたすらわれはシャドウボクシング

 特大のボストンバッグ抱へもち自分をさがす旅に出てゆく

 現実の重く詰まれるサンドバッグを叩き打つべし叩き打つべし

 掲出歌はこの歌集のもう一つの核をなす、相聞の歌のなかに置かれている。恋人の女性、そしてやがて妻となることの決まっている女性。この一人の女性への強い思いが、透き通るような叙情で詠われていく。

 俺だけにみせた弱さがいとしくて小さな肩を抱きしめてゐる

 化粧などするな他人にへつらふな俺は素顔のおまへを愛す

 降る音が聞こえるやうな雪の夜愛しき人の名を母に告ぐ

 烏羽玉の夜のしづかなるわたつみへ雪落ちてくる母音のごとく

 ましろなる咽喉を伸ばし白鳥は眼を閉ぢてくちづけを請ふ

 母親に婚を告げる。それは子として庇護される存在であった男が、長じてついに護るべき人を見つけたという証と訣れだ。雪国に住む人らしい静謐とともに、愛が刻々と綴られてゆく。「俺」と自分を呼ぶあたりに、この作者のその当時の指向がかいま見えるけれども、この一人称が「ぼく」であったり「わたし」であったらどうか。また通常使われることの多い「われ」ではどうか。たちまちにこれらの歌は嫋々としたものを含んで柔軟になってしまうだろう。骨太で硬質なものを担保し、愛しい女を護る強さを示唆するために、ここは「俺」でなくてはいけなかったのだと思う。
 本田はまた先頃、第二歌集『眉月集』を刊行した。荒々しかった若さは、やがて穏やかな広さをもった歳月に変わっていったことを改めて感じる歌集である。この第一歌集『銀の鶴』とともに多くの方に読まれるべき歌集と思う。 

 ※今年の「日めくり詩歌」の高木担当分はこの稿にて終わりとなります。三詩型交流の趣旨を念頭に置いて、なるべくジャンル多岐な方々にお読みいただけたらいいなぁと思ってささやかながら書いてきました。そして書いてゆくうちに様々に歌に出会うことが出来たのも、自分にはとても勉強になりました。
 お世話になった『詩客』運営委員の皆さま、そしてあたたかく応援くださった読者の皆さまに、この場をお借りして深く御礼申し上げます。
 ありがとうございました。 高木佳子

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