瀬尾育生「暮鳥」より
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百足を千切ると指先が光った。暗がりの虫たち、爬行する虫たちの汚泥に光が累積する。おまえはその中にもう百日も棲んでいたのだからね。けれどおまえを千切る私の指が光るのは、遠ざかる「分離」を私が今日も反復しているからだ。ここは漁港だから、自転車いっぱいに魚が積まれて運ばれたり、零れ落ちた魚がまた自転車に轢かれたりする。魚たちの断面が夜、防波堤沿いの路面のあちこちに光っている。今夜生まれる子の臍の緒が切られるときにも、その切断面が光るのだと私は思う。昔に離れた黒い蛆虫。胎児のだんす。鼻から口から眼から臍から這い込むキリスト。体のあちこちに開孔部をつくり、そこに「主」を迎え入れている。
一面の泥土のなかに道路だけがある。それらはまっすぐに続いている。いたるところに亀裂と段差があってそれをアスファルトの塊でつないである。車はそのたびにおおきく左右に振られる。いくつも交差点を通り過ぎたがそこに信号はなく、道路には路肩がないので、車を脇へ寄せようとするとそのまま泥の中に滑り込んでゆく気がする。何かを見つけても、確かめるために車を止めることができない。事物たちは、通過して行く私の視野を一瞬擦過してゆくだけだ。
その車(の残骸)は焼けて潰れ、泥の中に横倒しになっていた。ほとんど黒くなった白のセダンだ。破れたフロントグラスに三メートルくらいの鉄パイプが突き立ててある。その鉄パイプに日の丸がぶらさげてある。先端から五十センチくらい下げて「半旗」になっている。日の丸は泥と焼け焦げと粉塵と、ことによると血で、汚れている。ほとんど迷彩にちかく汚れた日の丸は風が弱いからはためくでもなくぶらさがっている。その日の丸が言う。私は汚れ、焼け爛れた日の丸である。私は潰れた車のフロントグラスに突き立てられた鉄パイプに結ばれて半旗になっている。私をここに立たせるために、この車の残骸はここに放置されている。私はかつてこれほど物質として日の丸であったことはない。
(「現代詩手帖」2011年8月号)
「現代詩手帖」という雑誌は年に2回、だいたい1月号と8月号前後が「作品特集」となっており、ほかの月よりもたくさんの詩作品が掲載されます。
2011年8月号には、32の作品が掲載されていますが、とりわけ目をひいたのが瀬尾育生さんの「暮鳥」でした。
ここに紹介したのは、ほかの作品よりも幾分か小さな文字で11頁にわたって掲載されている、その長い作品の冒頭部分です。
タイトルの「暮鳥」は1884年生まれの詩人山村暮鳥からとられたものです。
続く部分では、暮鳥に関するエピソードが随所に織り込まれるとともに、ときに「私」が暮鳥その人であるかのような語りが現れます。
「私がはじめてその漁港の町を訪ねたのは、今から百一年前の五月二十一日のことだった。」というぎょっとするような一文も見られます。
この詩は、ごく単純化して言えば、震災の被災地を訪れた書き手の視線と、101年前にその地を訪れた暮鳥の視線とを二重写しにした記述です。
けれども「私」として声を発するのは暮鳥だけではありません。
ここにはさまざまな事物の声が書き込まれています。
人間とは別のスケールで存在する事物の声。
たとえばそれは、突き立てられた鉄パイプにぶらさがる日の丸の声です。
どうやったらそうした声が聞こえるのか、いまとても気になっています。