日めくり詩歌 短歌 さいかち真 (2012/05/01)

雪の中より小杉ひともと出でてをり或る時は生あるごとくうごく

☆ルビ生、しやう

あまぎらし降りくる雪のおごそかさそのなかにして最上川のみづ

斎藤茂吉『白き山』

どちらも動きのある自然の相をとらえている。一首目は、一本のちいさな杉の木が、寒風に吹かれて揺れるのだろう。二首目は、最上川が、空を暗くかすませて重々しく降り始めた雪のなかを流れている。この歌集のなかには、有名な歌が何十首もあるけれども、右のような地味で目立たない歌のどれもが、生彩を放って息づいている姿は、言いようもなく尊い。老年の茂吉の自然に寄せる思いの深さが、体に響くような感じで伝わって来るのである。

文学好きの(歌人ではない)知友にたずねてみると、『赤光』は読んだことがあっても、『白き山』一冊には取り組んだことがないという人が多かった。

最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片
オリーブのあぶらの如き悲しみを彼の使徒もつねに持ちてゐたりや

こういう代表歌は、むろんみんなが知っている。アンソロジーで読んでいる。でも、『白き山』一冊はいそがしくて無理なのかもしれない。でも、読んだ人は、人生の宝物と言えるような歌を、きっと一つや二つは拾うことができるだろうと思う。

戦後の日本人たち、特に「進歩的」な知識人や詩人たちは、「日本的なもの」への強烈な自己嫌悪にとらわれた。「短歌的抒情」は、「奴隷の韻律」とまで貶められた。そうして、茂吉は文学者として「戦争責任」を問われた。『白き山』には、そういう時代に背を向けて、自然に没入しようとする老茂吉の姿がある。そのあたりの経緯については、岡井隆著『短歌―この騒がしき詩型 「第二芸術論」への最終駁論』(短歌研究社)に詳しい。

岡井は新著『今から読む斎藤茂吉』(砂子屋書房)のあとがきで、「歌人人生の終末ちかく」に「短歌滅亡論」に出会わざるを得なかった「茂吉の悲苦が」ようやく「自分自身が老いの果てに達した今」、「身に沁みて感じられる」と述べている。

タグ:

      

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress