私の好きな詩人 第4回 – 中本道代 – 榎本櫻湖

 好きな詩人、影響を受けた詩人は誰ですか、と問われるたびに迷ってしまうのは、好きな詩人も、影響を受けた詩人も、それはそれは何人もいて、私の作風は彼等の作品の謂うなればパッチワークみたいなものだから、その継ぎ接ぎを解いてみれば、野村喜和夫や松尾真由美、広瀬大志などが容易に思い浮かぶのだろうが(実は私は戦後詩も近代詩も碌々読まずにきてしまい、朔太郎も、中也も、吉岡実も、天澤退二郎さえも読んだことがない)、ここでは、中本道代について、少しだけ、お話ししたい。

雪どけの水が流れると
死んだ少女が見つめてくる
深い瞳と色のない頬
戦ぐ繊い髪の毛
けれどすぐに彼女は底知れぬ国へと退いていく

(『花と死王』所収「水の含み」より)

夕暮れに紫色の光が降るので尿に濡れた舗石が美しさに痺れている。
小熊座だ小熊座、と女は秘密を漏らすのだ。
歩道橋は危険だ、ねずみの幽霊が集まっているから。
冬のまぼろしの雨が通り過ぎるとそれらはぽたぽたと垂れ落ちてくる。

(『花と死王』所収「首都高速4号線下」より)

 長編の散文詩ばかり書く私の好きな詩人、影響を受けた詩人が、中本さんだというのは意外かもしれないが、たとえばこうして抜きだした箇所を読めば、その鮮やかさに眩暈しそうであるし、どちらかというと短くて、空白との絶妙な均衡を保ちながら鏤められるこれらの詩の言葉に、そそくさとマスを埋めればそれでいいようなところのある散文詩に逃げてしまった私にとっては、これこそが本来の詩なのだ、このように禁欲的とも思われるほどの書法で、凛とした独自の詩世界を確立させている彼女の詩こそ、日本語の詩の極北なのだ、と、実際にお会いしたときの優しくて柔らかな印象とは違い、ときに冷たく鋭利な言葉の刃に、指の腹を切られる思いで、私は頁と頁の隙間に幽閉されてしまったかのように、彼女の詩集に没頭してしまう。

水の宇宙に
上昇を続けるあえかな月
 
 
殺意で胸があえぐ

(『黄道と蛹』所収「月の色」より)

私たちは
恐怖を擦り込まれている
死の女の腕で白金の腕輪が鳴り

(『黄道と蛹』所収「夏の夜の出現」より)

 正直に言うなら、彼女を知ってからはまだ一年も経ってはいなくて、ある方の朗読会ではじめてお会いし、その後の打ち上げ会でいろいろとお話をして、温かく優しく包みこんでくれるかのような雰囲気が居心地よくて、どのような詩を書いているのだろう、とその晩さっそくインターネットで調べ、詩集を注文したのだったが、本を開いて、その言葉の少なさに、まずは驚いて、しかも、それは本当に書かれるべきことだけが書かれている、というような印象で、どこまでも研ぎ澄まされ、削ぎ落とされた言葉の世界に浸るにつれて、いよいよその魔力に囚われてしまったのだ。

水分で飽和している空気
の中に
 
光る乳が流れ出る

(『春分 vernal equinox』所収「Summer Song」より)

せせらぎの下では金の砂が
微小に 微小に
輝いている
そんな山奥の金色の想いを
だれも知らない

(『花と死王』所収「奥の想い」より)

 沈黙を恐れて過剰に言葉を吐いてしまう私とはまったく逆に、潔いまでに透徹した詩の言葉の木立に迷いこみ、いつしか蜘蛛の巣にかかった小虫のように私は、畏敬とともに文字を、言葉を、脳に刻みつけ、行から行への自在な飛躍に憧れを抱いては、ふと中本さんの優しい微笑みに出会し、そしてさらに、その奥へ、奥へと踏み入っていく。

限りのない知らない死と知らない性交
私たちの体はそれでできている

(『春分 vernal equinox』所収「現象II」より)

 はじめてお会いしてからしばらくして頂戴した詩集に、そしてその帯にも記されたこの箇所に、私は特別の思いを抱くのだが、それは、たまたま存在している私でさえも例外なく、顔も、名前も、いつ、どこに、存在したのかもしれない無数の生命の連綿とした繋がりの果てにあるのだという、永遠に解かれることのない不可思議を再確認させられるからであるし、私はその事実に煩悶し、喘ぎ声をひっそりとうちにひた隠しながら生き、ただし、こうしてときどき、肉体を串刺しにされるかのような詩と出会い、その偶然の、あるいはその必然の至福に、さながら毒されるようにして、私は私の詩の続きを書き始めてしまう。

だれもが生きることしか求めず登場したはずなのに
世界は解きようもなく縺れて進んでいく

(『花と死王』所収「交錯」より)

遠い遠い場所に生命の秘密がある
どんな手段を使っても
そこへ行くことはできない
けれど 不意に途上が開けることはあるのだ
すぐにまた閉ざされてしまうのではあるが

(『黄道と蛹』所収「天使の涙」より)

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3 Responses to “私の好きな詩人 第4回 – 中本道代 – 榎本櫻湖”


  1. 榎本櫻湖
    on 5月 29th, 2011
    @

     落丁があります。「森の想い」と「現象II」のあいだに、本来なら

    「沈黙を恐れて過剰に言葉を吐いてしまう私とはまったく逆に、潔いまでに透徹した詩の言葉の木立に迷いこみ、いつしか蜘蛛の巣にかかった小虫のように私は、畏敬とともに文字を、言葉を、脳に刻みつけ、行から行への自在な飛躍に憧れを抱いては、ふと中本さんの優しい微笑みに出会し、そしてさらに、その奥へ、奥へと踏み入っていく。」

     とする箇所が含まれていたはずです。


  2. admin
    on 5月 31st, 2011
    @

    こんにちは。イダヅカマコトです。
    申し訳ありませんでした。メールでもご連絡いただきありがとうございました。
    対応いたしましたので、ご確認ください。


  3. 5月27日号 後記 | 詩客 SHIKAKU - 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト
    on 6月 10th, 2011
    @

    […] 有働薫さんと榎本櫻湖さんの論考、そのような「得体の知れない」自由詩に、どのように現在が触れえるか、丁寧に書かれている。 […]

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