私の好きな詩人 第18回 – 飯島正 – 田中庸介

 シネマには影がゐた。
 昼間は、舞台にゐるがやがて見物席に下りてくる。空いてゐる席が見つかるとそこに腰掛ける。空席がないと、椅子のわきにしやがんで待つてゐる。だから君たちが見物席で、誰かと一緒に映画を見てゐるような気がするのはそのためである。
 夜になると、それはおもてから入場券を持つて這入つてくる。女案内人が案内をして空いてゐる席に坐らせる。くらがりなのでよく人の背中につかまることなどがある。人は、知つてゐる人だと思つて振り向かないでゐる。空席がなくなる。するとそろそろ舞台に上つて集合する。エクランの人物はこの時静かに挨拶をしてひつこむのである。
 シネマには影がゐた。

(「シネマ」全篇)


 飯島正(1902-1996)は、春山行夫の「詩と詩論」や堀口大學の「オルフェオン」に拠った近代詩人としてより、早稲田大学で教鞭をとり我が国にヌーヴェル・ヴァーグを紹介した映画評論家として著名であったようだ。「シネマ」というのは映画館のことであり、本作はそこに棲む「影」についての幻想を、モダニズムの手法で語った作品である。

飯島のポップでやわらかな文体はこのような初期作から一貫するものがあり、「おもて」「くらがり」「つかまる」など和語をかな書きに開く独特の用字法や(外来語は原音に忠実に表記)、「するとそろそろ」のようなドラマティックな表現、「エクランの人物」という専門用語(「エクラン」は「銀幕」のことですね)と「ひつこむのである」という伝法な言い方の対比のおもしろさ、そしてなにより文と文とが急展開をもって接続される最大瞬間風速の高さなど、人口に膾炙した数々の評論を髣髴とさせる。海外のシナリオの紹介をしていたかと思うと、突然「訳してみよう。」という一文が挿入されて流暢な翻訳が始まるあたりが、語学力の豊富さを誇る、かの人の表現の真骨頂であった。なるたけ先入見をなくし、常識の閾を突き抜けていきたいという思いも強かった。

 わたしは縁あって飯島の久我山の家の離れで育ったのだが、飯島は生涯、どうやら映画評論そのものを自分の詩人としての仕事の一つと考えていたようであった。梶井基次郎や北川冬彦や飯島ら、かつての文化青年は、「文化一般」のことを「詩」と呼ぶような、フランス風の自由な空気のなかに生きていた気がする。しかし戦後になると、荒地派の詩人たちの「詩の言語の絶対優位」というような、どうにも肩に力こぶの入ったお題目をもってして、前衛言語芸術としての「現代詩」というジャンルが急速に立ち上がってきた。そうすると文化人としての近代詩人らは、これら詩の専門家による競争原理的評価の範疇から抜け落ちて、詩の世界からはすっかり忘れ去られてしまったようだ。わたしが高校時代に詩を評価されはじめたとき、七十歳も年上の飯島は急に眼が真剣になり、「オルフェオン」や何やかやを見せてくれた思い出がある。

わたしたちの世代では、詩人が詩の隣接領域に進出することをいちいち「詩の領域の拡張」として断らなければ、どうにも「詩壇」に対して肩身の狭いような気になることさえある。それは「現代詩」がマイナージャンルとして完成されてきたことの副作用である。たしかにわれわれの「現代詩」の到達点は深く、世界的にみても独自の文化を創出しはじめているという自負はある。しかし、時にはこのような近代詩人らのおこないにきちんと目を向け、文化全般にしみこむポエジーの精確な語り手としての「詩人」の社会的役割を、もう一度思い起こしてみるべきかもしれない。そのときはじめて「詩人」は、文化という名のシネマに棲む「影」として、本来の夢を見ることができるのだから。

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