私の好きな詩人 第34回 – 前田ちよ子 – 水野るり子

好きな詩人といわれた時に、まず『動物哀歌』の村上昭夫や、書き出しの頃出会った大手拓次、そして何人かの現在の詩人たちのことを考えた。だがそれらとはまた違う意味で、ペッパーランド誌の創刊同人であった前田ちよ子のことを書きたくなった。つい最近、引き出しの奥から黄ばんだ一枚の葉書が出てきた。前田ちよ子からのものだった。かつて私は彼女と連詩なるものを交換していて、その葉書には「帰る」という詩が書かれていた。前田ちよ子は1948年生れ。2008年7月、59歳で白血病のため他界している。詩集として‘69年『青』(私家版)、82年『星とスプーン』(VAN書房)、88年『昆虫家族』(七月堂)の3冊がある。 今日は『昆虫家族』から二篇を載せたいと思う。

帰る

朝早くからバッタを捕りに出たまま
子供はふいに帰らなくなる
朝の食事をいらないと言って出て行き
夜にはその食事が本当にいらなくなる
 
どこにいるのと母は思っている
バッタになった子供を思っている
そこは秋でしょう すすき野でしょう
風が立ち上がっているでしょう
とんぼの赤い群が大きな流れになって
野原の上を高々と渡っていく
 
母は耳殻のない子供の顔を思う
緑色の眼を思う
舌の無い口を思う
口のきけない子を思う
何日も同じ事を繰り返し思い続け
やがてくたびれはてる
肩をふるわせながらアイロンを掛け
部屋を片づけ 一渡り見回し
そうして母もいなくなる
 
家は草むらの中にうずもれて
ふたをあけたままの虫かごになる
子供は
帰らなくなった時と同じように
ふいに帰ってくる
虫かごで暮らすうちに
ある時部屋の片すみに
アイロンの掛った
きちっとたたまれたシャツを
長い緑色の触覚で見つける

 前田ちよ子の詩は、ある欠如感(喪失感)から生まれてくるように思う。特に詩集『星とスプーン』には(その子ども時代の家族経験からくるのかもしれない)深い孤独感と母なる存在への切ない呼びかけが結晶化されていて、それがこの詩人の、この世界への根源的な感受性を形づくっているように思われる。だがその根源にある寂しさは、抒情としてでなく、独自の思想、生命観を表すイメージとして表現されている。

彼女は78年に結婚し、一男一女をもうけ、自分の第二の家族をつくる。その時代、彼女は母としての、家族の一員としての生活を豊かに生き抜いていたと思う。だが第二詩集『昆虫家族』でも、彼女にとっての詩の現実は生活の表層にはなく、スケールの大きい神話的な語り口の作品によって存在の深層を見つめ、独自の生命観を語るものが多い。前田ちよ子の詩人としての視座は日常の暮らしをさかのぼり、宇宙的時空から人生の一瞬をとらえ直す位置にまで行っていたのかもしれない。

この「帰る」では家族間の孤立を描きながらも、母はその子のためにアイロンを掛け、子は偶然のように母のやさしさに触れる。母と子の間に一筋の切ない思いが通じている。しかし、ついに母も子も孤独なのである。そこには現実の生に対するあきらめ(諦念というのではなく、もう何かを見てしまったひとの眼とでもいおうか…)がひそんでいるようだ。彼女の本質的な希いはこの世での個としての成就でなく、宇宙的生命への合一ではなかったか。あらゆる生きものと共に分かち合う始原の生命への帰還をのぞみ、その祈りを果たすように早々と旅立ってしまった前田ちよ子。その詩世界はうつくしく透徹したまなざしによって表現されているが、そこでは生きることは切なくさびしい営為なのだ。そして私はその作品に触れるとき、流れゆくこの日常の一刻一刻は、宇宙のわずかな切れ目からこぼれ落ちた、小さなひとつの世界にすぎないのでは…という思いになる。この世界はさまざまの不可能に満ち、切ない呼びかけに満ちている。そして人はまだ胎児のようにそこで何かを待っているのではないか…と。

天秤皿

私達は片方の天秤皿の上で生れていた。私達を生んだも
のが何であるかは知らなかった。皿は巨大で、朝と昼と夜
のある宙に浮いており、はるか下の方は闇の雲がゆっくり
と大きく渦巻いていた。私達の載った皿の対の天秤皿はお
ろか、皿を支える支点さえも遠く遠く霞む大気の向うにあ
って、私達は見たこともなかった。
 
皿の上には何もなかった。風の吹く度にどこからか流れ
て来る砂がわずかずつたまり、やがて砂は土になった。私
達は拾い集めておいた種をそこに蒔き、空一面から降る雨
と光とで種から苗を育て、実を収穫した。繁る草にひそむ
虫を捕え、干して保存した。季節の変わる時には、頭上を
渡って行く鳥の群の互に呼び合う声を頼りに弓を引いた。
私達は日毎大きくたくましくなっていったが、私達の載っ
た皿は次第に宙を上って行った。
 
寒い日の夜は日を焚き寄り添って寒さをしのいだ。そん
な時私達はもう片方の皿に何があるのか話しした。小さな
弟はカラスだと言った。たくさんのカラスが卵を産んでい
るのだと。三番目の兄は父と母だと言った。父と母とが私
達が大きくなる以上に肥えて行くのだと……。無口な一番
上の姉がいつかこんな風に集まっていた時、一度だけ自ら
話し出したことがあった。「私は思う。あそこにいるのは私
達ではないかと。私達があそこでふえているのではないか
と。「ああ。私達はふえるのをやめようではないか。兄や姉、
姉や弟、妹や兄、弟や妹。私達はそんな関係(あいだ)で
ふえるのはやめようではないか……
 
姉はその後死んだが、私達は姉の言葉を守ってふえずに
生きた。あれからも私達の皿は少しずつはてしなく天へ近
づいていく。薄くなる大気と夜のなくなった一日中明かる
い光の中にいて、私達の肉体は内側から透けるようになっ
ていた。余り動くこともなく、話しをすることもなく、今
ではもう食べなくてもよくなっていた。
 
収穫をしなくなった穂はいつまでも青々と豊に実り、た
くさんの虫をその中に隠していた。渡り鳥は頭上を渡らず
に、皿の下の方を鳴いて渡って行く。
 
今でも 私は思う。あの大きく渦巻く闇の中を、更に静
かに沈み続けて行く私達の対の天秤皿。あの皿の上の「重
さ」。あれはいったい本当に何なのだろうか……と。

           

            

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