私の好きな詩人 第36回 -知久寿焼- 高塚謙太郎

 「好きな詩人」ということで、まじめに犬塚尭あたりのことでも書こうかと思ったが、もっとまじめに書こうと思って知久寿焼のことを書く。「たま」は20年ほど前、「日本のビートルズ」とか言われて騒がれていたが、どうせなら前期を「日本のバッファロー・スプリング・フィールド」(更に20年ほど前には「はっぴいえんど」がそのように言われていた)、後期を「日本のマッチング・モール」と言っておきたい。「たま」はメンバー全員が作詞作曲とヴォーカルを担当し、高い演奏能力と自分たちで編曲した美しいアンサンブルが売りだが、彼らの作品から歌詞の部分だけを乱暴にひきはがしてみると、すぐれたポエトリー・ユニットが姿を現す。で、その一人が知久寿焼で、やたら「さびしい」「かなしい」と書いている。

《たのしい方向音痴から/ぼくらさびしい迷子になろうよ》
《ぼくらのこぼした涙をあつめて/かなしいさかなの飼育をしたいな》(「方向音痴」)
《夕焼けの空に金魚をおいかけ/ぼくらは竹ざおみたいな脚を/土手につきさしてさまよった/ぱきぱき音たててさまよった/景色がまっかっかに腫れちゃった/そんなさびしい上空で/金魚の記憶がないてるよ》(「らんちう」)
《夕暮れ時のさびしさに 金のらっぱを吹いてます/風のささやきかき消して 轟く音色に酔ってます/となりのお寺の墓石に 今日もまっかな夕日が沈む/夕暮れ時のさびしさには 牛乳がよく似合います》(「夕暮れ時のさびしさに」)
《まっ白な長い尾をひいて 夜空を横切るおっと星/ぼくらはさびしい植木鉢 あの日の花壇に眠らせて/ふくらんでいく海と沈んでいく町並み/ほらばけつの中でくるくる泳ぐねずみたち》(「金魚鉢」)
《まっくろい部屋に鍵かけて/ぼくはひとりでないてるよ/何にもできなくなっちゃった/何にも見えなくなっちゃった/かなしいずぼん》(「かなしいずぼん」)
《日暮れの/さびしい/電気みたいな/まぶしい まぶしい/おかずを食べて/お茶碗を手にしたまま/超音速で出かけた/空飛ぶ子供たちの消えていく低い空》(「いわしのこもりうた」)

 そんな知久のとてもさびしいかなしい詩句を一箇所だけ抜き出すとするなら、こうなる。

誰もいないから きみしかいない
誰もいないから ぼくの言うこときこうね   (「きみしかいない」)

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