山本哲也 最も身近な世界の涯
手許にある詩集『静かな家』(七月堂)の奥付を見ると、「昭和60年7月10日 第1刷り発行」とある。この年の8月、東京を訪れた私は、当時池袋パルコにあった詩の専門店「ぱろうる」でこの詩集を購入しているから、刊行後まもなくのことだった。その数年前に「詩学」の詩誌月評欄で取り上げられた「桃」という詩が好きで、「ぱろうる」に行ったときも、山本哲也の詩集が出ているなら手に入れたいと思っていた。幸運なタイミングだった。
桃
男がビールを飲んでいる
くだらない仕事でも
心をこめてやるしかなかった
男はビールを飲んでいる
遠くで鉄橋が鳴っている
枝豆のたよりない色をみている
電車が通過しているあいだ
鉄橋が鳴る
そんな暗いちからが必要だった
ビールを飲みながら男は想像する
果物屋で桃を買う
指でおさえないでくださいねと女がいう
腐敗は いつだって
デリケートな指先からはじまるからね
家族の数だけの桃を包んだ袋をかかえて
小さな橋をわたる
角をまがる もうひとつ角をまがる
子どもらの声のかがやき
妻がガラス皿を戸棚からとり出す
ナイフのにぶい光
うすい皮と透明なうぶ毛につつまれて
テーブルのうえに桃がのっかっている
それだって幸福のひとつのありかただ
テーブルのしたは暗闇
いきなりそいつを抱きしめたい衝動にかられるが
男にはわかっている
幸福も不幸も表面的なものにすぎないってこと
男はたちあがる
枝豆のたよりない色がのこる
排水溝をながれる銭湯の水のにおい
ながいながい塀にそって歩き
それからバスに乗る
男は目をつぶる
すこしずつ腐敗していく桃を
胸のあたりにかかえて☆☆
山本哲也の詩はきわめて平易な言葉で書かれている。ひとつひとつの行も、文の構造として難解なものはない。しかし、この詩人の詩を読むと、最も遠い場所、世界の涯とでも呼ぶしかない場所をさまよってきたような感覚を抱いてしまう。それはガード下の飲み屋であり、果物屋であり、銭湯の水がにおう道端なのだ。最も近くにある世界の涯。そこから帰って来たとき、「桃」は「すこしずつ腐敗して」いる。山本哲也の詩は私たちのまわりにも、世界の涯のような場所が無数にあるということを気づかせてくれる。
深尾靜榮
on 1月 2nd, 2013
@ :
岩木誠一郎さんの詩が好きだすが、今読ませていただいた山本哲也
さんの詩も岩木さんと同じような感覚で書かれています
みたものを、感じたものを丁寧にデッサンしながら、いつの間にか
読み手の感覚の中にすっぽり入っていく作品
書けそうで書けないものですね。桃は腐るのですね
臭いまで感じ取れました
岩木さんによろしくお伝えください