ただいま、ハネムーン中である。お相手はかなりの年下である。すこぶる育ちが良く、容姿端麗。そこはかとなく、漂う気品。立ち姿の格好よさ。圧倒的なその存在感といったら、まるで一個の天体のよう。
千(せん)の美辞麗句を並べたててもとても追いつかないくらいの、美丈夫である。写真よりも実物のほうがずっとずっと素晴らしい。しかし、何といっても一番なのは美しい外見ではないのだ。その響きの類い稀なる深遠さである。耳に神秘的でさえある。もう、メロメロである。
響きって、何? 声ではないのかと問われるむきもあろうが、これは、楽器のお話である。ドイツ語で「ライアー」と呼ばれる、世にも美しい竪琴(たてごと)の音色のことである。
私がライアーと出逢ってこの秋でちょうど丸十二年になる。そのいきさつについては既刊のエッセイ集『京都 銀月アパートの桜』や『京都 桜の縁(えに)し』で触れているので重複は避けておきたいのだが、兎にも角にも、ライアーは私の人生を大きく変えた。
一九二六年にヨーロッパに誕生したこの竪琴は、長くシュタイナー教育の場や音楽療法の場で大切に守り育てられてきた。人智学の祖であるルドルフ・シュタイナーが、オイリュトミーを行なう際にどのような音楽がふさわしいかと問われた際、キタラのようなものが宜しかろうと答えたとされる。キタラとは、ギリシャの古い竪琴を言うらしい。その言葉を受けとめた、音楽家のエドムンド・プラハト氏と彫刻家のローター・ゲルトナー氏の二人によって創りだされた「新しい竪琴」がライアーである。それは、シュタイナーの死の翌年のことであったので、生前の彼はライアーの響きを耳にすることはなかった。
私が初めてライアーを手にしたのは二〇〇一年の六月六日のことであった。三十五弦のソプラノライアーはあっさりと私の人生を全く別のものへと変えていった。
ポエトリーリーディングの際に、少し演奏できたら素敵だろうといった軽い気持ちで学び始めた私だったが、ライアーという存在は予想をはるかに超える奥深く神聖な楽器であった。やがて私はライアーの教師をめざし、二〇〇八年から三年間、東京に学びに通った。
先日、思いがけなく私のもとにやって来たのは一九六六年生まれのアルトライアーである。すなわち、ローター・ゲルトナー氏が直接制作にかかわった楽器なのである。初代の魂のこもったライアーを畏(おそ)れおおくもこの私が奏かせて戴くことになろうとは、何と有難く玄妙なめぐり合わせであろう。
ただいま、私たちはハネムーン中である。長いながいハネムーンになりそうである。
二〇一二・十・二