読み進める昨日 第5回
水素よ  藤井貞和

 「三・一一」が転換点になるとはあまりにも無念なこと。廃炉、経済の質的転換、エネルギー政策のどれをとっても、高木仁三郎の先駆的視野から、いま何を日本社会は求めなければならないか。福島難民を、日本社会が、そして表現者たちが、心なく切り捨てる方向に進むなら、世界の難民救援システムがそれを宣言して、日本社会を告発すべきだし(実際にそういう動きがある)、それを国際的な屈辱に思うなら、日本社会――「同朋」という語を使えばわかるか――がいま何をしなければならないか、一年目の論客が去ったあと、後衛である表現者たちの双肩に、無言の重しがおしかかり、検証を求めている。先駆的な人々の警告を聞き入れなかった日本社会への報いとして、過酷すぎるにしろ、避難という、三・一一を、そして三月一二日を、一三日を、一四日を、というように、胸に手を当てて想起し、忘却し得ないこととは何か、忘却し得ないことをなぜ忘却しようとするのか、生ある限り忘却し得ない哲学を表現者たちは回避していないか。問いかけはまだまだ山積しているはずだ。

 水素はどこから発生したのだろうか。水蒸気爆発でなく。水素爆発だったという。三月一二日の水素爆発以前でも、以後でも、口を噤んで原子力関係者がなかなか「水素爆発の理由」を言おうとしない。『国会事故調報告書』(徳間書店、二〇一二・九)をいま私は読み続けている。「なお……」と、〈「なお」書き〉ながら、こんなふうにある。LOCAは「冷却材喪失事故」、ECCSは「非常用炉心冷却系」の意。

 なお、LOCAによって炉心が露出した後、直ちにECCSが作動しなかった場合には、燃料の損傷が始まる。その際、燃料被覆管やチャンネル・ボックスがジルカロイ製であることが問題になる。1000゜Cを超える高温の蒸気雰囲気中では、ジルコニウム―水反応(Zr+2H2O→ZrO2+2H2)が進行し、水素ガスが発生するからである。炉内には、その場合の原料であるジルカロイが大量に存在する。しかもこの反応は発熱反応であり、いったん始まると自己促進効果がある。LOCAの破断口からは水素が放出され、格納容器を満たすことになる。水素は、空気中の体積濃度が4%を超える辺りから燃焼性を呈し始め、十数パーセントに達すると激しい爆発を起こす。したがって、第3の壁と第4の壁の損傷には連鎖性があり得る。そこでこの連鎖性を断つために、運転中の格納容器内部の雰囲気は、窒素で満たされている。

と、さりげなく書かれる。炉心が露出して空だきになり、メルトダウンが起き出すと、しばらくして水素爆発が起き、ついで建屋を吹き飛ばすなど、多量の放射性物質を撒き散らす。『国会事故調報告書』の労を多とするけれども、すべては報告書であるから後追いに違いない。メルトダウンを阻止しなければならず、しかも海水をかけ続けて冷却しなければならないということは、廃炉を覚悟することに繋がる。しかし、廃炉をためらうならば、そしてもし建屋を水素が満たすなら、酸素と反応して爆発に至る。原子炉の設計上、知られていた弱点であるはずで、しかも関係者がぎりぎりまで口を閉ざしている。

官邸五階の執務室で、菅直人(総理)は、斑目原子力安全委委員長に「水素爆発は無いのか」と何度も尋ねた。「ありません」と斑目は言っていた、と木村英昭『官邸の一〇〇時間』(岩波書店、二〇一二・八)が取材する。それによると、菅がしきりに「ここに水素はないのか」「爆発する気体はないのか」と尋ねる。斑目は「あり得ません」「水素は存在しません」と答える。

水素爆発の映像が、福島中央テレビ、ついで日本テレビから流れ、それをみた斑目が「あちゃあ」という顔をしたという。そのときまで水素爆発のことなんか考えになくて、映像をみた途端、「あっ、そりゃそうだ」「放射性ガスが出ているのと同時に水素も出ていたんだ」とかれは気づいた。周囲にいた人は、「菅が斑目をガツンとやらなければよいのだが」と心配している。斑目は説明を求められて、朗々と「炉心が空だきになった時、水蒸気と被覆管とが化学反応して水素ができた。……」と開陳し始め、「海水で水没しましょう!」と菅に提案したという。木村があとで取材している、なぜあのとき、殴らなかったのか、と。菅「予測できなかった人に、それ以上言っても仕方ないだろ」。

 早くから水素爆発の危険を唱えていたひとはいなかったのだろうか。これまでの、「五重の壁」によって炉心は防御されているという喧伝を、私はそのまま受け取っていた。上の事故調の報告書にも「第3の壁と第4の壁の損傷には連鎖性があり得る。そこでこの連鎖性を断つために、運転中の格納容器内部の雰囲気は、窒素で満たされている」とあった。しかし、読みながら、私は自分の無知を笑ってしまえるか、以下の説明だ。この「五重の壁」を、物理的な説明だとも、譬喩的な説明だとも、私は自分に何とも説得のしようがなくて、苦しい。事故調の報告書から、私なりの理解と判断とを繰り返す。

 二酸化ウランの粉末を小さな円柱状(直径、高さがそれぞれ約1cm)に焼結したのが「燃料ペレット」で、顕微鏡レベルでは粒子間に空隙があり、それが「閉じ込める」機能の第1の壁。空隙を含むとはいっても、二酸化ウランの理論密度の95%以上に及ぶためかなり稠密である。

円柱状のペレットは、厚さ約0.9mmの細長い燃料被覆管の中に充填される。運転中、燃料被覆管とペレットとの隙間によって大きな温度差が生じないよう、ヘリウムガスが充填されている。1950年代にステンレス鋼が試されたこともあったが、現在はジルコニウムを主成分とした合金(ジルカロイ)が使われるようになった。この材料においてさえも完全無欠の選択だったわけではなく、短所を有する、と。ともあれ、この燃料被覆管が第2の「閉じ込め」の壁である。

第3の壁は「原子炉冷却材圧力バウンダリ」と呼ばれる。よく分からないが、配管を含み、複雑な一次弁、二次弁を言うらしい。

閉じ込める第4の壁が格納容器。第5がいわゆる原子炉建屋。

格納容器が五重の層で頑丈に作られている、の意かと迂闊に思っていたら、そういうことでなく、かえって格納容器は「軽微な漏えいが許容されている」と、わけがわからない。自分の無知を悲しむしかないにせよ、こんかいの水素爆発は、第二の壁(被覆管)の損傷、化学反応により、第3、第4の連鎖をへて、第5の壁である建屋を吹っ飛ばした。

水素爆発の危険からECCS事故の可能性までを、一九八一年段階(つまりチェルノブイリを知らない段階)で見通していたのが高木仁三郎だと、いまにして気づく。長くなるけれども、引いてみたい(『プルトニウムの恐怖』、一九八一)。

 この熱によって、原子炉内に残っていた水は水蒸気となって破断口から噴き出し、空炊きはさらに進行する。と同時に、燃料棒は冷却水を失って崩壊熱による温度上昇を始め、被覆管のジルコニウムは蒸気と反応して酸化する。この反応は水素を発生させ(水―ジルコニウム反応)、反応熱はさらに温度上昇をうながす。こうして事故発生後数分―数十分後には、炉心燃料は融け始め、ついには融けた燃料は原子炉の底に向って崩れ落ちるという決定的な瞬間がやってくる。これがメルトダウンである。(スリーマイル島原発事故は、部分的な燃料溶融まで進展し、メルトダウン寸前でくい止められた。)……

このような冷却材喪失→メルトダウン→環境への大量放射能洩れといった推移を防ぐものとして、原子力発電所には放射能に対する何重もの守りが施されている、というのが原子力発電の安全性に対する主要な根拠となっている。とくに、冷却材喪失を防ぐ決め手として採用されたのが、緊急炉心冷却装置(ECCS)といわれるシステムである。これらは配管の破断などによって一次冷却水が失われたときに、通常の一次冷却水とは別の系統の水をポンプで原子炉系に注いで、空炊きを防ぐための装置である。これはいわば、急場の火消しのような装置であるが、冷却材喪失といった緊急事態にはたしてこの装置がどれほど有効か、という問題は、七〇年代初期の原子炉安全論争の最大の争点となったテーマであった。

その論争に十分な決着がついたとは言いがたいが、それらの守りが決して絶対のものではなく、ほんのちょっとしたことから次々と破られていくことを示したのが、スリーマイル島原発事故であった。「スリーマイル島事故は安全神話を崩壊させた」と言われるのは、そのためだった。……

一九七九年三月二七日、日本最大の原子力発電所である大飯(おおい)原発1号炉が営業運転を開始した。奇しくもスリーマイル島原発事故が発生した前日のことであった。熱出力三四二・三万キロワット。伝記出力一一七・五万キロワットと、スリーマイル島原発より二割も出力が大きく、現在でも日本最大の規模の原発である。しかし、大飯一号炉は、直後に起こったスリーマイル島原発の事故によって、運転開始後二〇日もたたぬうちに、運転停止を余儀なくされたのだった。スリーマイル島原発事故との関連において、同種の事故に対してこの原発の緊急炉心冷却装置(ECCS)が有効に働らくかどうか、重大な疑問が生じたのであった。それまでの安全解析では、スリーマイル島原発のような事態が予期されず、対処されていなかったのである。

その後の解析によって、一応「安全」のお墨付きが出され、同原発はおよそ二ケ月後に運転を再開するのだが、その一ケ月後には再び運転を停止することになった。空調系の電気回賂の故障に端を発したこの事故では、誤信号によってECCS(緊急炉心冷却装置)が作動した。誤作動とはいえ、原子炉空炊きの最後の砦であるECCSが作動したのは初めてのことであり、日本の原子力史上でも特記されることであった。……

と、高木が水素爆発を適確に、正確に予告していたことを、いまわれわれはどう受け止めたらよいのだろうか。三月一一日の夜から、避難の要請を受け、あるいは自主的に、われわれは(私は直接にではないけれども)逃げ惑った。何を恐れ、西へ西へ逃げんとしたのだろうか。ベント開放によっても、また爆発によっても、迫り来る放射能物質を逃げ得ずして、自家用車やバスの車体が煙に包まれ、まるでSF映画さながら、バックミラーにみるみる爆風の押し寄せてくるのが映り、人々をつぎつぎに薙ぎ倒してゆくような、そんな恐怖にかられつつ、深夜をついて家族やペットの乗る、ほとんど着の身着のままの車を西へ西へ走らせたのだ。住む家を喪うこと、故郷から帰るを拒まれ、難民にならざるをえない、これから。しかも無慈悲に被災地外の同朋たちはいま、仲間であるにもかかわらず、一斉に身を引いて被災地を切り捨てようとしている。

 原子炉内その他で、核分裂が臨界に達する事故は五〇年代以来、無数にあった。それらはけっして核爆発に至らない、というのが一様に原子力学者の統一見解だ(ウィキペディアの説明にもそうある)。しかも、ときに過酷事故のゆくさきに最悪の事態を想定するとも言われるようになってきた。原子炉のメルトダウンから核爆発へと移行することは絶対にあり得ない、とする原子力学者たちは、それなら最悪の事態として何を想定するか、みな一様に口を閉じている。それはあたかも「水素爆発は起きない」と繰り返していた学者のへの字にまがった脣に似る。

 私の高校生のころ(昭和三〇年代半ば)、学校新聞に化学の先生の載せた「原子爆弾の構造」という読み物があって、その記事をいまでも憶えている。先生は一通り、構造を説明したあと、原子全体の大きさと、その中にある核の大きさとの大小関係は、学校の体育館と、その中を飛んでいる蚊との関係ぐらいで、中性子を命中させることは、体育館の外から、一匹の蚊に粟粒を命中させると同じ事で、人為的には不可能に近いとする。映画的空想としては沢田研二が東海原発から材料(液体プルトニウム)を強奪して原子爆弾を作っている(『太陽を盗んだ男』長谷川和彦監督、一九七九)。高木仁三郎は『ブルートーンの火』(教養文庫、一九七六)のなかに「原爆はだれでも作れるか」という一節を設けて、プルトニウム爆弾を素人じしんが被曝せぬように注意しながら臨界直前までもってゆけるか、ちょっとした「科学通」ていどではむずかしい、としている。プルトニウム爆弾は原爆を起爆材として使う。

 初期の原爆は臨界未満のウラン量とウラン量とを通常爆薬で一つにして瞬時に核爆発させる。原子力工学の講義の一部に平和利用としてのそれと、軍事利用としてのそれとを比較する講座があるばかりでなく、後者を知らずして前者の原子力学者になりえないことぐらい、想像をたくましくするまでもない。国家的規模の予算がつけば、あるいは自爆テロリストが志願すれば、内紛のような戦闘行為においてすら、原子力による軍事行動が絶対に今後あり得ないと言い切れない。使わないはずの原爆を、つい使ってしまう、というような、事故に近い核爆発が、これからの中東地域などで「なし」と言い切れるだろうか。イランの巡礼団を人質にしているシリアの反政府軍が、一人ずつ殺すぞと脅迫している。救出のために、イラン側が核攻撃にでも出ようものなら、イスラエルが核兵器の使用に踏み切るだろう。……といったような未来にならないために、軍事利用に転化しうる原子力産業に対し、根本からの疑念を抱きつづけなければならない。隣国に核疑惑があろうと、核兵器を持つまいとする(ことが本当なら)韓国に対して日本社会からエールを送る必要がある。

原子炉の事故と核兵器の「事故」とは平行している。低い確率と言え、核燃料の臨界から核爆発への瞬間的移行はありうる、と私には思える。最悪の事態とは東京を含む東日本の壊滅を指す。少数の暴力化した専政主権のもとで呻吟する樹海生活から「やり直す(?)」ことは可能か、「風の谷のナウシカ」幻想のような幻想こそ、日本社会の得意とするところではなかったか。詩的産業の尖兵でもあるかのごとく喧伝された、和合亮一の尻馬に乗って、私もまた焼け野にそれでも朝のこない夜はないとつぶやきたい。

今後の福島県への差別、原発難民へのいじめが進行するのに対して、われわれが高木を思い出すこと、強力な反差別の根拠がいち早く氏によって掲げられていたと思い出すことは、必要な、現代人が現代人としてあるための、基礎的な手続きとしてある。氏の原子力資料情報室立ち上げは一九七五年だったという。七〇年代の半ばであることを記憶し続けよう。

『プルトニウムの恐怖』から、あと一点、取り出しておこう。本書の最終ステージから見ておこう。エネルギー問題はどうするのか、「未来への一視点」と題して、エイモリー・ロビンス『ソフト・エネルギー・パス』に対し、いくつもの疑問を呈しながら、それでも世界がどこへ向かわねばならないか、大きな示唆を「ソフト・パス」に求めている。われわれは電気を使う、それによって電気の生産とは違うしごとに従事し、目的物を生産する。たとえばコンピュータを利用していま原稿を書いている。書いていないときは電源を下ろしたり、節電に心がけたりする。ロビンスは、われわれの各々のしごとを果たすのに、効率的なやり方で供給された最少のエネルギーでそれを満たすようにと考える。熱を求めるのに電気を使うというようなのは効率が悪いほうにはいるだろう。太陽エネルギーのような再生可能エネルギーを、われわれの生活水準を落とすことなく現実化できるとかれは説く。

 高木は「ソフト・パスに全面的に賛成する。そしてその実現は十分に可能だと思う」としつつ、しかし「何がわれわれに必要なしごとなのか」と問いかける。「私たちが必要だと考えている仕事、したがってエネルキーのほとんどは、主体的な必要から出ていることではなくて、そうさせられている類いのものである。労働現場の機械化・省力化は、むしろ生産に対する労働者の主体性を奪った面が強い。労働以外の面でも、テレビやドライブなどは強いられた娯楽である。むしろ、散歩をするとか、絵を描くとか、友人と会話をするといった、エネルギー消費とあまり関係のないことに、より主体的な創造性が発揮できる。

 『プルトニウムの恐怖』の書かれた意図はこうして曇りなく明らかになる。あまりにも正論だとはいえ、この正論を吐き続ける哲学が、こんにちに少なくなってしまったと思い起こそう。「画一化されたかたちのエネルギーの大量消費は、ますます私たちを多様性を失った鋳型にはめこんでゆくだけだろう」「そもそもの問題はエネルギーそのものではなく、より人間的な、解放された社会をどうつくるか、ということにある。私の生活実感からすれば、太陽エネルギー利用としての風車を数多くつくることよりも、まずエネルギー依存型でない文化をどう創るか、ということに大きな関心がある。そのうえで、その文化の中に風車をどうとりこむか、という形で問題を考えていきたい」。

こんにちの世相は、よってたかってロビンスの夢想であるとし、夢想の一パーセントでも実現できたかと嗤(わら)い、多数派のニヒリズムでまとまることにやっきである。しかし、世界経済のグローバル化がかえってコストを抑える方向へゆけばよいので、原子ならぬ電子(核外電子)の活性化(―発電)は具体的な中小需要とペアで考えればよく、勤勉、技術などの創造的特質によってカバーできることには評価を惜しまないようにする、といった文化価値への必要な回帰が、ニヒリズムの波に押し戻されてばかりでは、高木の意志を無駄にし続けることになる。文学に関与の余地がある、文化そして外交の実が結び、東アジアや沖縄基地の緊張が薄まれば、軍事的なエネルギー消費は要らなくなるか、または削減される。繰り返す、「三・一一」が転換点になるとはあまりにも無念なこと。廃炉、経済の質的転換、エネルギー政策のどれをとっても、高木の先駆的視野から、いま何を日本社会は求めなければならないか。今回は引用すべき詩作品を喪ったので、「水牛のように」サイトから回文詩を掲げておく。回文が流行しているらしいということもあるけれども、詩が韻律を発見しながら主題を凝縮させる装置として、わりあい機能するかと見ている(「翠素96――のたうつ白馬!」『水牛』サイト、二〇一二・一〇)。

爆発! うたの発生か!/嘘か! ばれにばれ、/水素よ、冷却の音!/露白く、炉心か、/ウオオ! 反原子、/火力よりか、震源は!/覆う管(=かん〈被覆管〉)、白く露出、/遠のく焼き入れ、/装(=よそ)いすれば、/似れば仮装か、異説は、/のたうつ白馬!

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