読み進める昨日 第2回
「浄土の〈廃原〉か」 藤井貞和

 石牟礼道子「祖さまの草の邑」の連載が始まる(『現代詩手帖』誌、4月)。『苦海浄土』(世界文学全集Ⅲ-04)のどこのページか、氏が、県の知事(市長?)に、写真展の開催を依頼しに訪ねていって、追い返されるところがある。その知事(市長?)は、県の著名な文士の名を挙げてから、「あんたはその文士から何番目ぐらいの文士かね」と、訊いてくる。そして追い返される。――という流れだったか、また『苦海浄土』に、県の尊敬すべき文学者から、「もの書きは自分の活動を大切にして、よい作品を書くように」とたしなめられる。――だったか、『苦海浄土』を私も、いま最初から読み直そうと思う。若松丈太郎が、「できれば福島原発の『苦海浄土』を書きたいな」と、日本経済新聞紙上に語っている(「シニア記者がつくるこころのページ」という欄〈小林省太記者〉に)。

「石牟礼道子さんの『苦海浄土』を事故後に読み直して、改めて、自分もああいったきちっとした正確な日本語で表現できたらいいなということを考えています。」(5月19日)

と、若松は言う。いま、必要なのは「正確な日本語」だと氏の届く果てはほんとうに遙かを見ている。「東京の反応が間違っていると思わないし、同情してくれということでもないんですが、ただ、福島は終わっていない、始まったばかりなんだ。そういう意識がみなさんにあるのかどうか。それが居心地の悪さかもしれません」と。記録しておこう。

 渡辺豪記者が「福島第一原発の事故検証も不十分ななか、誰一人、責任をとろうとしないまま、政府は原発再稼働を画策しています。マスメディアの役割が機能していないとも言えるのではないでしょうか」(沖縄タイムス5月10日)と問いかけて、辺見庸は、

 「資本とテクノロジーと人間の欲望とか弱さという近代の本質が、集中的に出ているのが原発の問題だと思います。近代は長くそれを隠してきたのですが、3・11の衝撃でみんなむき出されてしまった。しかし、むきだされた近代の断面をまだわれわれはしっかり正視していない。立ち止まって整理できていないって思うわけです。福島というものが単に精神、情念といったものだけで語られるんじゃなく、どういうふうに深くとらえ直して見るのかが問われている。/僕は近代全体を通して大きな枠から見てみたいと考えています。原発の問題というのは消費資本主義ときってもきれない。だから今、秘やかに政府側が考えているのはエネルギーの供給態勢の中で原発は必要だっていう考え方ですよ。だから段階を踏みながら再稼働を考えている。僕はそれについて世論もゆっくりした速度だけれども、当初の再稼働反対から、分からない、ないしはやむを得ないみたいな議論がどんどん増えていって、それをマスメディアが後押ししているように感じています。実際、夏場に停電騒ぎにでもなると、ますますそうなっていくだろうなって僕は見ています。」

と、「沖縄と福島の40年を問う」という全紙4面のインタヴュー記事から、うえのように引いておこう。マスメディアの敗退は今回、ひどかった。それから、御用学者たち。『苦海浄土』では、御用学者がいちはやくチッソ側に立ってあらぬ証言をしたと、ちらと引用される。原発事故で、御用学者たちが大活躍した今回のことは記憶に新しい。かれらはしかも「責任をと」って辞めたけはいがなく、それどころか、「責任」を、ますます「まっとうしている」かに見える。そして、さらには、見えない何だか大きな後押しする手がある――「患者さん、会社を粉砕して水俣に何が残る、と言うのですか!」というビラのような(『苦海浄土』のどこか)「日本は世界に原発を売らないと国力が落ちる」、だから日本政府のショーウインドウが大飯で、泊で、伊方で再稼働しつつあるんだ、とは秋亜綺羅『ココア共和国』(あきは書館)の前文から(勝手に敷衍して「引用」する)。

横木徳久は信頼すべき書き手である。ポルトガルにいるから傍観者だという退き方も、痛いほど伝わる(「ポルトガルからの傍観者的考察1」『手帖』誌、6月)。しかし、だいじなところにいるのだ、傍観者ではない。「イノチガケ」という初回の設題である。『LEIDEN――雷電』(1号、雷電舎)の宗近真一郎の書く時評はまっすぐ和合亮一への根源的な批判であり、このような批評こそが、和合に、ばかりでなく、いまへと(私なら私へと)届けられてよい。それを、横木が部分引用して、あたかも宗近が和合をやんわりとたしなめ、釘をさしているかのように『手帖』誌の読者へ伝えるのでは、あまりに拙くて和合にとり、悔しいと思う。横木の引く部分のみをここでも引く。

「「異語」は「主体」を構成したりはしない。逆に「異語」において「主体」は解消する。和合が語るようなエクスタシーは余りにも凡庸であり、表現意識のメルトダウンが懸念される。だが、問題は、次のような現象だ。先に、フランス語において表象される「もの・こと」と、日本語で語られるしかない出来事が交差することはないというアンバランスにおいて世界風景はバランス(調和)すると述べた。そのバランスには表現と非表現に亙る全現実の宿運が賭けられていい筈だが、和合は、自分を「異語」において「無人」にすると語りながら、実はそう語る「主体」を頑強に維持拡大しているということである。」(「生成する「異語」をめぐって」)

と、横木は引用する。引用であるから、宗近の言わんとする趣旨から外れても仕方がないので、よく読んでこの引用を突き抜けるか、それとも「震災を利用して自己表現の拡大を企てるような詩人は勝手にしろ」(横木)という言い方に同意するか、『手帖』誌の一人一人の読者に任されている。

 「舞姫」論争で、石橋忍月は新刊時評とでも言うべき一文を呈し、徹底的に批評を加える。それは「舞姫」の根幹を刺し貫く秋霜烈日である。すると、鴎外が反論する。そういう同時代評が積み重なり、文学史観のぶつかりあいをへて、近代文学は各個にどうしようもなく所有され始め、研究なら研究は、あとの時代からそれらの「同時代評」の分析をてこに開始される。「舞姫」論争がもたらした成果ははかりしれなかった。

 若松に、あるいは石牟礼に戻るわけではないが、「正確な日本語」をして語らしめよ、ということだろう。和合を秋霜烈日たる論争のなかへ連れ込んで、批評をすることに何のためらいがあろうや。あるいは長谷川櫂『震災歌集』(中公新社、去年4月)を、やはりたしなめたり、剣呑や困惑視したりする言説には出会えたものの、ことの病みようにまで降りた臨床的診断を寡聞にして知らない。なれあわない徹底した時評が時代を救済する共有のゴール点にあることを見極めさえすれば、論争のあとに気まずくなる必要のないことである。あたかもゼミなどの教室でロールプレイイング的な激しい議論のあと、終業のチャイムが来れば後腐れすることがないようにと、心すべきことに似る。宗近はよい批評を展開したと評価できる。

 「再稼働反対」の毎金曜日ごとのひとの波(10万とも20万とも言われる)は、日本が原発売り込みのショウウインドウになることを、人々がかならずしても同意していないと、世界へ発信することができるという点を含め、真に感動的である。再稼働しなければならないという政府サイドや経済界から出てくる計算は、すべて数年後になって根拠のない数字であり、意図的な虚偽であったことがばれる性格であり、ただいまは隠されているために反論できないもどかしさをなす。私は専門家でないから、その、からくりであるはずの数字をあばく力がない。大量核兵器疑惑でイラク戦争をしかけたアメリカ政府が、じつは証拠を何も持っていなかったとあとでばれるのに似る。チッソの会社内部からも、当時の厚生省からも、患者たちの行動に呼応する人たちが出たと言うのに、関電では一人も大飯原発を内部から止めようとする仁がいないのか。

 技術者とは何か。一九八六年五月の『汚染通信』1号によると、ミュンヘンのマウラー・エレクトニクス社およびイノーヴァ精密技術株式会社の技術陣は、チェルノブイリ事故後の数日、ラジオなどの公式発表を注意深く追っているうちに、しだいに数値や対策のあいだに矛盾があることに気づいた。そこで、表面汚染の測定器を購入し、公式発表の何倍もの数値におどろいた。しかも、政府は実際の数値をリークしないように関係当局に圧力を加えているらしい。

「私たちは事務所の建物や、内庭に子どもの遊び場がある集合住宅の建物の表面汚染を測定した。その結果次の測定値を得た。/五月六日(一平方メートル当たり)一六万ベクレル(以下同じ)。七日二一万。八日一〇万。九日一二万。一〇日一一万二〇〇〇。/これらの表面汚染の大部分は、四月三〇日から五月一日にかけて降った雨によるものと思われる。他の研究機関が発表した測定値およびわれわれの調査結果をすべて重ね合わせて考えると、右の汚染値は決して一部の地域に限定されるものではなく、南ドイツではほぼ同じ程度の汚染が広がっているものと見なされる。」(「チェルノブイリの雲の下で――技術者の誇り」田代ヤネス和温、(『『技術と人間』論文選』大月書店、4月)。

 以下、日本の福島県で起きた、去年からことしにかけての政府サイドの態度と同じである。除染の必要のない数値だと指示し(実際には基準の三〇倍)、校内の除染を中止させ、調べると公的機関は地面から1メートルのところで測ったりしている。『汚染通信』は牧場の草をいますぐに刈ることを初め、子どもや妊婦から危険を遠ざけるために、提案を繰り返す。『ターゲスツアイトゥンク』紙の取材に匿名で応じた、西ベルリンの汚染食品の検査所にはたらく一技師は、なぜ各州政府が肉などのセシウム許容量を決められないのかについて、「それは政府にいまそれを決めるだけの勇気がないからだ」と答えている。そのまま、25年後の日本社会である。『汚染通信』の呼びかけは、

「バイエルン州全体に落ちてきたセシウムはたった七〇〇グラムにすぎない。チェルノブイリの事故炉の内部には、セシウムその他の高毒性物質が制御不能な状態で何トンも横たわっている。さらにドイツとその周辺では数十の原子炉が運転されている。”安全な原子炉”設計が行われているにもかかわらず、深刻な事故が起こっている。これらのことを考えると、極端な政治的イデオロギーのレッテルを貼られることなしに、原子力利用の現在の形について偏見のない討論が許されてよい時が来ている。」

とある。がらりと変わるようで、しかも中学生諸君の表現を打つようで心苦しいものの、藤村記念歴程賞特別賞にかがやく『みあげれば がれきの上に こいのぼり』(日本宇宙フォーラム、3月)が、

少しずつ 笑顔が戻る ぼくたちに 
今だって きれいな海だ 女川(おながわ)湾 
女川の 漁船つらなる 初ガツオ 
きれいな町 みんなの笑顔で 取りもどそう 
きっといる ぺットの亀は 海の中 
海水についたすずらん 咲いていた 
平和な日 港の町に またいつか 
女川町 元気と笑顔 復興へ 
将来は 小さな子供に 今を伝える 
……

と、(まるで)復興スローガンを子供たちにつぎつぎ書かせる、575という装置が痛ましい。おそらく俳人たちからも払い捨てられて、標語と言えば575という、その思い込みに導かれるあわれ(私のあわれでもある)を、「舞姫」ではないが震災「句」であるだけに、本書をいただきながら凝然と立ち、論争もなしえぬ自分でしかない。575の功罪だろう。

 けっして和解できないことというのはぜんぜん別のところにある。難しい対日感情であろうと、相互の国内問題であることを見抜いてゆけば、『和解のために』(朴裕河、平凡社ライブラリー)のように和解が提案できる。和解できないことというのは、詩や表現のなかにあるべきだし、ある観点からすると、詩と短歌、詩と俳句、あるいは俳句と短歌とのあいだに立ちのぼるはずである。三度言えば、「正確な日本語」がそこにある。「偏見のない討論」はここに必要となる。

 80年代、90年代に、もし徹底してポストモダンを批判し尽くしていたならば、福島原発の事故を阻止できたのではないかと、不意に痛切に妄念する。「子供たちを見送った後の屋上に立つと、決壊した堤防から昇る朝日に照らされ、変わり果てた荒浜が見えた。「壊滅」とはこういうことなのだと知った」と、多田智恵子先生の手記だ。給食用の野菜を納めてくれた方、米作り、シジミ獲りを教えてくれた方、酷暑の日も、強風の日も、路上で子供たちの安全を見守ってくれた方。学校がお世話になった方々……(『世界』別冊〈二〇一二・一〉より)。「壊滅」という言葉を多田の手記から記憶しよう。念願の六年生の担任を「終え」て、離任式もなく荒浜小学校を去る、この一教諭の手記から、宗教人類学者山形孝夫は「実存的で真摯(しんし)」という、強い印象を受け取ったという(同、解説)。この「実存」そして「真摯」という語をも拾っておこう。佐藤通雅(歌人)の撮ってきた、荒浜小学校屋上からの写真(『飢餓陣営』37、樹が陣営、3月)を私はいま、正視する。佐藤が撮る、大川小学校の卒業制作の壁画「銀河鉄道」(同)に心うなだれる、正視しなければならない。

タグ: , , ,

      

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress