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戦後俳句を読む(27-2)赤尾兜子の句【テーマ:場末、ならびに海辺】/仲寒蝉

空地で刺さる媚薬壜掘る墓掘人夫   『虚像』

「坂」発行後の『蛇』の作品を「場末、ならびに海辺」というキーワードに沿って見てきたが、愈々兜子をして前衛俳句の旗手たらしめた所謂「難解俳句」の宝庫である『虚像』の時代に突入する。昭和35年「坂」が「渦」に発展解消となり、『虚像』の句の多くはそこに発表されたものだが最初の十数句は「坂」初出。この句もそうである。
これもこの頃の兜子の俳句の特徴である、切れが無く下五に向かってなだれ落ちてゆくような文体。だがそれが一種独特のリズムを作っている。7-7-7という字数だがもっと細分化すれば4-3-5-2-4-3となる。4-3のリズムの間に5-2が挟まれてソナタ形式のようになっている。さらに「刺さる」「掘る」という「る」で終わる二つの動詞が重ねられて「人夫」の最後のウ音と共鳴する。内容はともあれ、この俳句が耳に心地よく響くのはそういう理由による。
奇跡的と言われる戦後の復興は成ったがまだあちこちに「空地」が残っていた時代。これこそ場末の風景である。不発弾なども数多く転がっていたかもしれない。それにしても「空地に」でなく「空地で」としたのはどうしてだろう。最初に空地という舞台を示して、以後述べることはそこで起こっている出来事なのだと言いたかったのか。してみると掘っているのは墓掘人夫だが場所は墓地ではないらしい。
爆弾ならぬ媚薬壜が地面に刺さっているとの設定もすごい。媚薬、即ち惚れ薬は女性に服用させてその女性を物にしようとの下心があって使われる。そのまま読めば墓掘人夫が埋まっている媚薬を見つけて独り占めしようとしている訳だ。しかしこれはやはり何かのメタファー(暗喩)であるように思われる。例えば女性が国民、墓掘人夫が政治家という具合に。さらに媚薬壜を掘り起こしているつもりでも実は自分の墓を掘っているのだというイロニーのようにも取れる。

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