戦後俳句史を読む (22 – 3) 赤尾兜子の句【テーマ:場末、ならびに海辺】③/仲寒蝉

雨の群集にもまれ捨風船が夜に死ぬ         『蛇』

 これも昭和32年か33年の作。群衆(群集)が力を発揮した時代。最近のアラブの春では群集が政権を倒すこともあるということを改めて認識させられたが、日本では久しくそういう事件は起こっていない。思えば赤軍派が壊滅して以来のことではないか。現在の日本ではデモ行進も行儀よくなってしまってミャンマーやエジプトのように暴動に発展するなど考えられない。しかしほんの半世紀前の日本はそうではなかった。それが政治の時代であり、或る意味野蛮で活力に満ちた国の興隆期であった。

 この句はそれから2-3年後に起こる出来事を暗示しているようにも思われる。昭和35年、所謂60年安保闘争の際に東大の学生であった樺美智子が死亡した事件である。6月15日、日米安全保障条約の改定に反対して国会になだれ込んだ全学連の学生達の中に彼女もいた。機動隊との衝突によって学生側に死者を出したことで政府への批判が強まり岸内閣は総辞職したのである。

 この句は勿論その事件と何の関わりもない。ただ群集が社会を、時代を動かしていた頃の雰囲気が色濃く出ている句だと思う。雨-捨-夜、これでもかとマイナーな言葉が並ぶ。群集の中の一人となることは安心感をもたらすけれども一度捨風船となってしまったら群集の中で圧死する他なくなる。そんな恐ろしい、残酷な面をも持っているのが群集なのである。

 話はがらっと変わって捨風船。この句を読んで中村苑子の次の2句を思った。

  貌を探す気抜け風船木に跨がり
  貌が棲む芒の中の捨て鏡

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捨て鏡の句の方は恐らく彼女の代表作にも数えられる一句。だが同じ「貌」を扱っていても風船の句の方はそれほど取り上げられることがない。処女句集『水妖詞館』でこの2句は同じ頁に仲良く並んでいる。謂わば一対なのである。句集自体は昭和50年の刊行であるが収録された俳句は20年の長きにわたって書かれ続けたものを集めたと言う。従ってこの2句も兜子の句が出来たのと同じ頃の作かもしれない(残念ながら今は初出に当たれない)。意味の上からも兜子の句とは何の関係もない。だが苑子のパートナーであった高柳重信と兜子とが知り合ったのも矢張りこの頃であるから偶然の一致にただただ驚いたまでのこと。

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