戦後俳句を読む(6 – 1) ―「色」を読む―  楠本憲吉の句  / 筑紫磐井

過去は何色冬の朝日はローズ色

第3句集『孤客』より。昭和46年の作品。

憲吉の句を取り上げるにあたって、最も有名な憲吉の代表句集である『隠花植物』は取り上げない。憲吉の本領はこの第1句集で汲み取れないからだ。現代俳句協会の主要幹事として、また「俳句」「俳句研究」の論客として、さらに俳句出版社琅かん(=玉偏に干)堂の責任者として八面六臂の活躍をしていた憲吉だが、昭和37年現代俳句協会から戦中派作家が脱退して俳人協会を設立した事件で両協会から絶縁したことにより、大きく人生が狂う。よりマスコミへの露出度を高めることにより、新しい活躍の分野を見出しながらも、伝統俳句と前衛俳句という対立を深めていった「俳壇」からは阻害されてゆくようになる。これは常に変わらぬ現象であり、最近では、松本恭子とか黛まどかがそうした道を歩いているように思える。

いずれにしろそうした時期をふくんだ句集が『孤客』(昭和26~50年)であり、ドラマティックであるだけに際立って面白い。

昭和31年(34歳)に灘萬代表取締に就任しているから経済的不如意とは関係ないが、文学的野心からの鬱屈は大きいものがあったろうと思われる。伝統俳句にしろ前衛俳句にしろいわば専門家集団として閉鎖的な共同体を形成していたわけだから、ここから脱落した憲吉のゆく道は開放的な大衆路線しかない。憲吉の俳句の醍醐味はそこにある。

短歌や詩がどのように制度化されているかは知らない(俳句の制度化は「結社」により完璧に俳人を拘束している)が、制度のあるところに対しては常に憲吉の俳句は魅力的であろうと感じている。

掲出句、これは歌謡曲調である。才能のある憲吉であるからそれと分かるよう露骨にボロを出すことはないが、こんな俳句もこんな心情も近代俳句は詠んでこなかったと思う。これは俳句でも文学でもないと思われている。しかし、酒と女のまとわりついた生活を俳句的レトリックで詠むとこのようになる。芭蕉の求道も、子規の探究心も、虚子のような陰謀もない、平凡な市民である我々そしてあなたにはぐっとくるのではないか。そして、「ローズ色」こそ、萬葉以来詠まれた最も美しい色ではないかと思ったりする。

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