戦後俳句を読む(14 –1)  ―「春」を読む―  楠本憲吉の句 / 筑紫磐井

見るからに呪縛の女 マルクス忌

今までことさら取り上げてこなかった憲吉の第1句集『隠花植物』(昭和26年刊)より取り上げた。これからも取り上げる機会がないから一度ぐらいは取り上げておこうと思ったのである。『隠花植物』は昭和20年から25年までの作品を含んでいるから、制作時期はこれから推測するしかない。

この句の季語にあたる「マルクス忌」は季語ではない。しかしマルクスの忌日(1983年3月14日)はある。草田男の「燭の灯を煙草火としつチエホフ忌」 のチエホフ忌は季語になくともチェホフの忌日(1904年7月15日)があるのと同様である。

『隠花植物』は、昭和26年に<なだ万隠花植物刊行会>から限定120部の豪華本で世に出された句集だそうで(筆者未見)、後、31年に大雅洞より95部限定で刊行された(さらに53年に深夜叢書社から、これは部数の限定なく復刊された)。5章、わずか84句からなる句集である。ほとんど人に読ませないための句集であったのではないかと思えてならない。例えば、

オルゴール亡母の秘密の子か僕は
酒場やがて蝋涙と化し誰か歔欷
汝が胸の谷間の汗や巴里祭
妻よわが死後読め貴種流離譚

などの一応人口に膾炙した憲吉の句は、『楠本憲吉集』(昭和42年刊)になって出てくるから、『隠花植物』は句集の名前のみ有名でほとんど句は知られていないと言ってよいのだ。のみならず、<なだ万隠花植物刊行会>刊の『隠花植物』は表題が『陰花植物』となっているのも不思議である。ほとんど句集『隠花植物』は、『隠花植物』という題名のためにだけ存在する句集といっても良いかもしれない(詩人菱山修三も序文でこの句集名を褒めている)。

また、この句からもわかるように『隠花植物』は収録句の半ばが無季の句である。季語のように見えながら季語ではない言葉も多い。この句で言えば、ただ、マルクスの忌日だから春だろうと推測するばかりなのだ。おそらく師の草城から受けた新興俳句の匂いを最も濃く残していた時期であったろう。

有季から無季へ、難解な句から平明通俗な句へと変わったが、「見るからに呪縛の女」で分かるとおり女性に対する見方は少しも変わらない(マルクスには愛人がいたというから存外無縁な忌日ではないかもしれない)。

ちなみに、『隠花植物』時代に柴山節子と結婚する。昭和22年25歳のことである。

光る靴踏むや瓦礫のわが華燭

これ以後、憲吉の句集は妻との葛藤に満ちた俳句が満載される。虚々実々の妻との駆け引き、騙し合い、憎み合い、自己憐憫、軽蔑、畏怖、愛情と、まさに圧巻の句集となっているのである。夫婦の機微をこれほどあからさまに述べた句集は例を見ないだろう。これが全て事実とは思えないが、これから結婚を考える人に是非勧めたい句集なのである。しかし結婚する気がなくなっても当方は責任を負わないからそのつもりで。(女性の専門家とみられていた憲吉は、前号に載せた本『女ひとりの幸はあるか』『結婚読本』『女が美的に見えるとき』以外にも、『それでも女房はコワイ』『メオトロジー』『悪女のすすめ』『女性と趣味』『花嫁を走らせないで・・・楠本憲吉結婚読本』『かあちゃん教育』『産報版・源氏物語』『現代ママ気質』『娘たちに与える本』『女色・酒色・旅色』などを出している)。

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