戦後俳句を読む (20 – 2) -「女」を読む-永田耕衣の句/池田瑠那

柳蔭われはをみなとなりしはや

一篇の変身譚、トランスセクシャル・フィクションのような句。仏教には女人不成仏を前提とした「変成男子」の教えもあるが、耕衣が傾倒した道元は女人不成仏には否定的だったとされる。ここでの「をみな」にも男性に比して下位の存在、罪業深い存在といった色付けはなさそうである。

一人の男性が枝垂れ柳に凭れてしばし憩い、ふと我に返ったら「をみな」に変じていた――「をんな」ではなく「をみな」の語を用いているからには見目麗しい美女なのであろう――そんな景が浮かぶ。

映画『転校生』では、一緒に石段を転げ落ちたのがきっかけで同級生同士の男女の体が入れ替わってしまっていたが、ここでは柳の木に凭れたことで柳の精と人間の男性の間に何らかの交感があり、その結果男性の身体が「をみな」に変ずるという奇怪な現象が起きたのではないかと思われる。そういえば熊野の楊枝の里には、柳の巨樹の精がお柳という美女となって現れ、人間の男性に嫁ぐ話が伝わっている(なお、後にその柳の巨樹は三十三間堂の棟木になる)。柳の気を受けて、句の主人公もお柳のような美女に成り変ってしまったのであろうか。

超現実的な景を詠みながら、結びの「はや」という詠嘆の語が何とも柔らかく、「をみな」に変じてしまったなら変じてしまったことを受け入れ、面白がってしまおうといった拘りのない姿勢が感じられる。すべてを空じ、すべてを茶化そうという耕衣の自在の遊び心が感じられる句。(昭和27年刊『驢鳴集』より)

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