煮えきらぬ会話 男ものの時計を嵌め 梶谷節子
いくら恋する男女だからといって、いつも高揚した気分のまま進むわけではないのは当たり前の話。掲出句に登場するふたりの間にはいま微妙な空気が漂っていて、そうなると会話もなかなかにはずまないのは致し方ないところ。彼も彼女も微妙に気まずい今の雰囲気を何とかしなくてはいけないとは心の内では分かっているのだけれども、さりとて状況を打開できるきっかけがなかなかに見出せず、ただ「煮えきらぬ会話」を繰り返すしかないのが、彼女の苛立ちをさらに掻き立ててやまない。「ねえ、何とか言ったらどうなのよ」と言い募るわけにもいかず、だけどこのままにしておくのも気分が悪い、苛立ちによって鋭さを増しつつある彼女の視線に、彼の方だって気が付いていないわけではないのだが、だからといって自分がどうしたらいいのかは分からないのは彼女と同じ。会話は弾まず、ふたりの間を漂う微妙な雰囲気は変わらず、なんともやるせない気分がお互いの心を覆ってしまっている、そんな只今のふたりである。
ここで出てくるのが「男ものの時計」。普通に考えれば彼が嵌めている時計のことを指しているはずなのだが、彼と視線を合わせたくないばかりに視線を彼の手元に移している彼女からすれば単に「時計」とだけしておいてもいいはずなのに、彼女はわざわざ「男もの」と手元の時計のあり様をしっかりと確かめている。「男ものの時計」を嵌めているのがまぎれもなく彼なのであれば、彼女はここで彼の「男」である部分に対して醒めた視線とかすかな疑問を抱きだしていると見ておいたほうがよさそうだ。いかなる理由で会話が「煮えきらぬ」ようになったかは定かではないが、こんなことになったきっかけを作ったのは彼のほうにあるはず、でも彼はそのことを果たしてわかっているのか、との想いに彼女はすっかりとらわれている。「男ものの時計」を嵌めている彼への苛立ちはいまや「あなた本当に男なの?」との思いを彼女に抱かせているのだ。
でもここまで鑑賞しながら、もし「男ものの時計」を嵌めているのが彼女のほうだったらとの読みも考えてしまうところもある、というのは男性が嵌めているものに対して「男もの」との限定をしてくるのがどうしても違和感の残るところであったからである。「煮えきらぬ」会話の続くことに耐えられない彼女はいま何時だろうかと時計に目を落とす。手に嵌めている「男ものの時計」は今日のデートに合わせて家族から借りただろうが、今の重苦しい雰囲気とともに、なじみのない時計の重みが手首に、そして全身に回りつつあるかのようだ。だけど「男ものの時計」を嵌めていることが彼女がいまの微妙な雰囲気になんとか耐えている支えになっているのかもしれない、時計を替えてきた今日はいつもの私とは違うのよ、決していつものようにはいかないんだからね、という感じで。きっかけさえつかめば、彼女は一気に彼に対して言葉を連ねていくのかもしれない、それがどのような結果をもたらすのかはともかくとして。分かち書きを活用した二句一章に内蔵された彼と彼女のストーリーはなかなか簡単にはいかないようである。
作者は愛媛県出身、高校時代に部活動として俳句に出合い、顧問の教師が「青玄」同人だったのがきっかけで「青玄」入り。掲出句は楠本憲吉編の『戦後の俳句 〈現代〉はどう詠まれたか』の「十代作家の登場」の章に「洋裁学校生」との肩書きで登場する。この章は「青玄」の作家たちを取り上げており、梶谷のほかに登場するのは伊丹三樹彦、穂積隆文(学生)、諧弘子(主婦)。この章で取り上げられた作品を以下に挙げてみよう。
神戸の秋は淋しい 忠告下さいお母さん 梶谷節子
揺れていた吊橋 好きだと言われた日
覇者にも鋭い 鎖骨の窪み ファンファーレ 穂積隆文
ふふーんふふーんとシャンソン 明日へ漬けるキャベツ 諧弘子
この時期の「青玄」では1964年(昭和39)9・10月号で「10代作家10人集」、翌年1965年(昭和40)9・10月号で「20代作家20人集」と、若手作家の特集を積極的に組み、俳句現代派運動における成果として世に知らしめようとしていた。ひとつの運動体における、まぎれもない青春の季節のまっただなかに「青玄」はあった。
うしゆ
on 3月 8th, 2012
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読みました。少生、句作に精を出して居る者ですが、ちょっと恥ずかしがり屋なので「Name」がころころ変わるかもしれませんが、お見知りおきの程を。掲出句の作者の「梶谷節子」は知らなかった。「青玄」はぼんやり知って居る程度。明確に認知出来たのは伊丹三樹彦さんぐらいでしょうか。また違う記事も読みたいし、この記事をもう1回読めればと思います。