戦後俳句を読む (25- 3)戦後における川柳・俳句・短歌【テーマ:1948年】/兵頭全郎

人間の眞中邊に帶を締め  (1948年 『岸本水府川柳集』 岸本水府)
雑巾も家それぞれのおきどころ

現在、最大の柳社である『番傘』に隆盛をもたらした岸本水府。良くも悪くも今に続く川柳の流れを作ったといっても過言ではないだろう。つまり日々の生活・何気ない行動の中にある小さな発見や驚きのようなものを作品として切り取るという手法をブレることなく積み重ねて広めた中心人物である。「帯を締め」る位置を「人間の眞中邊」と大げさに言ってみたり、よその家に招かれた際に「どうしてこんなところに雑巾を置くんだろう?」というふうに家庭によって常識が違う不思議とかおかしさを感じたり。この小さな発見というようなものは川柳に限らずあらゆる文化に共通するエネルギー源であるが、それを「川柳の形に切り取る」というのが川柳としてのセンスであり技術である。ところが現在の問題点は、題材を生活の中に探すがゆえに作者や作品がある量を超えるとどうしても似通ってしまうところにある。つまり作句の基になる出来事の発掘合戦に追われて、肝心のそれらを川柳に切り取るセンスや技術を磨く労力に回せていないと思うのだ。これは水府の責任というより、水府が掲げた「本格川柳」という指針を後進が守りに入ってしまったがゆえに更新を怠った結果だといえる。時代に合わせた変化をうまく取り入れながらでないと伝統や伝承が繋がらないのは、どんな分野を見ても明らかなことだ。

綠蔭に三人の老婆わらへりき  (1948年 『夜の桃』 西東三鬼)
荒園のましろき犬にみつめらる

前回、高野素十の句について「私が思う俳句らしい俳句」と書いたが、西東三鬼の句はどちらかというと短歌寄りの感がある。作者の感情が比較的濃く書かれているのではないだろうか。「綠蔭」にわらう「三人の老婆」、「荒園」でこちらを見ている「犬」、それぞれに作者との距離感が明確で、そのときに作者が感じたであろう不気味さや怖さがストレートに伝わってくる。もちろん描写という点では短歌の細かさはないが、自然の景の一部としての表現というより作者独自のアングルのポートレートといった雰囲気がある。資料の解説には「新興俳句の推進者にして、トリックスター的要素も強く」とあり、それまでの俳句にない手法を積極的に取り入れていたことが伺える。

くるしみて軍(いくさ)のさまを告げし文(ふみ)たたかひ濟みて妻のなほ持てり  (1948年 『小紺珠』 宮柊二)
子のために欲しきバターと言ふ妻よ着物を賣りて金を得しゆゑ

現在の私たちが戦後らしさを素直に感じられる歌が並ぶ。戦地から届いた夫からの手紙を戦争から帰還しても「なほ持てり」という妻。子どものためにバターを買おうと着物を売りに出す妻。声高に反戦を謳うのではなく、当時の暮らしやその時の感情を率直に書き取った作品は、西東三鬼にみたポートレートというより、もっと実直な家族写真の雰囲気がある。もちろん全くの素人写真であれば他人が見たときにはどうというものではないのだが、これらの歌には無駄な背景が写っていない(写していないというべきか)分、作品としての品を保っている。個人的な感情をゴリゴリに入れ込まれた短歌よりも、これら宮柊二の作品は読みやすかった。

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