「アシュリーの庭」 横山 黒鍵

「アシュリーの庭」 横山黒鍵

                               1997年
                   アシュリー・Xはシアトルで生まれた
                        重度の脳障害を持っていた

二頭の蝶が囁き続ける庭に、可能な限りあたたかい朝日が昇る。
春だった。乳の香が漂う庭園だった。手を繋いで歩いた。跳びはね続けた。
囁きは続けられた

        泉の前に設られたモニュメントは、命の尊さを祈念するもの
と聞いていた。昔、足を折った鹿がこの庭に迷い込んだ時に、それを眠らせた慈
悲深い祖先が建てたという。ピンク色の大理石でできていてとても綺麗。この石
は空に浮かぶ雲のように見える山脈から切り出されたんだって。ごらん、気流が
刻んだ縞模様が見えるでしょう?ピンク色の地肌に浮かんだ白い筋が、血管の
ように浮かんでいる。ひくひくと蠢くような目眩を感じる。朝の寒さに結露した
水滴が、きらきら光って涙のようにこぼれるのだ

                      オルガンの音が聞こえてきた
ら散歩は終わりを迎える。ねえ、こっちを向いて(こっちを向いて)処女の姿を
象った祈りそのものは、寂しげに笑う。花冠を編んだ手は緑色に染まっている。
束の間脱力して、水瓶色の歌を歌った。蜂蜜色の豊かな髪は少しボサボサで、そ
れをおさげに結っていた。泉の水面が不意に波たち、錆びくさい言葉が蝶番の開
きを悪くする。暗喩の代わりに照らされる明るい喩えばなしをしよう(おはなし
しよう)白詰草に集る蝶はどんどん増え続ける。もしかすると服をきていないこ
とが恥ずかしいのかもしれない。オルガンに吹き込まれた風が爽やかな霧にな
る。鑿を持つには華奢で、少し欠けた乳白色の指が、震えながらその頬に触れた
時、乳房は失われた

         レテノール、メネラウス、ペレイデス、ヘレナ、ポーティス、
ゴダート、キプリス、ガラテア。たくさんの子ども達がくるくると口吻を手招い
ているよ。跳びはねることで通信して、光や音の中でたくさんの卵を産んで。誰
かがそれを悉につぶしていく。それでも目眩くように増えて増えて。もうピンク
色の大理石は光を乱反射する翅に覆われて見えない。たくさんの口吻が差し込
まれて、そこから逆に流入される蜜だけが(ずっと守ってあげるから)その命を
繋ぐのだ。約束は交わされるはずだった。振動で剥がれた肌が衣に代わる

                                  青白
い病室で同じ流れのように泉の水は流れ出し、経血に穢れることはなかった。冠
水するはずだった器官の代わりにつめたい手をのせて(約束は交わされるはず
だった)ひらひらと漂う一頭の蝶になる。乳の壺が倒された様な匂い。背中に走
る雲の稜線はここで途切れる。代わりに伸びる髪の色をみて川のようだねとい
って笑った
     春の草は柔らかいから摘みやすいのよ、だからあなたのためにはな
かんむりを編みましょう。さくら色の貝殻のように透けたまるい爪が緑色に染
まる

朝日が昇ったら、
それは 春だ

                       2004年7月6歳になった
                      アシュリー・Xの子宮と乳房は
                            手術で摘出された
                                 そして
                     身長をこれ以上伸ばさないように
                     エストロゲン投与がはじめられた
                           それを彼女の父母は
                      彼女のクオリティオブライフの
                                  ため
                                   と
                                  いう

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