天井譚 森川雅美



天井譚 森川雅美

ぼくが死んだらね、
といっていた人の、
訃報が新聞に掲載され、
目がゆっくり野の船になる、
新宿ゴールデン街の階段、
で躓くぼろぼろの欠片は、
見出される痣なのかと、
放射線も降りつづき、
よくよく瞼は暮れていく、
ちょとだけ豊かだったと、
きみねとやや鼻声だった、
途切れ途切れの口調に、
喉の奥に冷えた酒が沁み、
もう帰らない楽しさは、
反転するままの風向きは、
どれだけ濁っても、
なおつづく朝の道もあり、
同じ時間は戻らないと、
実感することの重みに、
曝される毎日の営みに、
傷つくままに歩く、
ぼくが死んだらね、
といっていた人の、
六十年代は掠れていき、
ふりむくのは片目の、
ジャックだったり、
遠い国で空爆はつづき、
不明の眼の行方について、
水割りのグラスの中で、
氷ははや溶けている、
きみねとやや鼻声だった、
ちょとだけ豊かだったと、
長いのどの少年の、
帰り道の引きずる足取りに、
父祖からの風が吹きつけ、
少しずつ老いていくことは、
明日へつづく眼差しは、
まだ遠くで見詰めている、
声にすらならずに、
内側から響きつづける、
ぼくが死んだらね、
といっていた人の、
知らない明日がおとずれ、
楽譜の家族だったと、
いつかの声が答え、
静かに溶解する戦後は、
ややよろめく爪先の芽は、
いくつも重なる屈伸になり、
ちょっとだけ豊かだったと、
ゆるやかに崩折れるのも、
見えない汚染の予感で、
きみねとやや鼻声だった、
中途からくり返される、
さ迷える日本人の足首に、
負荷される痛みは、
よくよく噛みしめれば、
ちいさな入口になり、
開かれていく迂回する道に、
かすかな酔いも訪れ、
手の内側ではひっそり灯り、

※故清水昶さんの詩集の題名を詩の中に入れています。

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「作品 2011年12月9日号」の記事

  

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