海岸線 石田瑞穂

海岸線 石田瑞穂

いつだったのだろう
街のいたるところに海岸線があることを
知ったのは
名前も知らない小さな教会に囲まれていた
四谷の小さな路地の小さな家
行き止まり特有の
増幅された静けさに包まれた家のなかを
時おり 高架電車の音や
近所で飼っているカナリヤのさえずり
イグナチオ教会のゴーンという銀の鐘音が
幽霊のように歩き去っていった
街の見えない境界線を知り尽くしていたのは
大小さまざまな物影と
完璧に気配を消し
額ほどの家々の庭や空き地を出入りする
ストリート猫たち
人のいない午前の路地は
そんな影と猫の満ち干きの
無音のさざ波でつくられているようだった

だからかもしれない
小さくて静かな家には
尖塔と十字架の影の先っぽが
じわじわ敷石のうえを這い進み
無気味なこだまのようなものをつけ加えていく
そのせいで子どもたちの明るい声が
よりいっそうにぎやかに響くのだった

昼間の猫は何を聞いたのだろう
おばあちゃんの膝の上で聞く
もう誰も知らない
記憶の漂流物になった物語
震えに震えている
屑鉄の橋のつらなりが叫ぶ連詩
バスルームの暗がりで
父親が幼い息子に拳をあげる
ひゅっという鋭い子音
一本の花が流す涙

ピンクの内耳にはいつしか蜘蛛の巣がかかり
露に濡れた夜明けの猫たちは
路傍のあらゆる雑草や野草に
糸をつけて歩きまわる 濡れて輝く
何キロもの蜘蛛の数珠糸が
束の間 ある角度でのみ見えるように
サイレンや闇のなかの悲鳴も一部になった
街の見えないネットワークが
光に吹かれ 青く燃え上がる
雪になる前に――翌朝の街には雪の線が引かれ
また新たな岸辺が誕生するだろう
街そのものが
大いなる船出なのだから

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