水と塩    草間小鳥子

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水と塩    草間小鳥子 

喉の奥にちいさな塩田がある。繰り返されるたび切り捨てた感
情が白々と結晶している。溜め置いた唾で田を潤し、咳き込み
ながら襟を立ててあるいた。

底に敷き詰められたなめらかな塩砂。すくおうとするとすりぬ
けてゆく、すりぬけてこぼれてゆく。さびしい水はつま先から
気化し、霧を吹いたからにはもう、乾いたからだで微笑むこと
も容易い。

思いがけない狙撃。たわいない挨拶、なにげない問いかけ、
日々の明るさ--撃ち抜かれ、空いた穴へ転げ落ちる。穴の底
ですこし眠る--。月のない道をえんえんとひとりあるいたこ
とがあった。その時でさえ、落下は待たれていたのだろうか。

浴室で泣く。さほど泣けず湯張りをはじめる。感情のすべてを
涙であしらうには日が経ちすぎていた。窓のサッシに霜が降り
る。穴の底から真水が湧く。擦過音が耳をかすめる。弱い毒に
蝕まれてなお強くありたいと吐く息は、厳寒の夜、無実の鳥を
落とすのだった。

傷つくことをおぼえたばかりの子ども。水際の砂利を踏みしめ
てあるく。うしろあたまを無数の手が撫でてゆく。あまりにそ
っとだったので、風の仕業だと子どもは思った。対岸に立つか
つての子どもがそれを見ていた。
(大声で泣きながら家へ帰るのを禁じたのはいつからだろう。
知らないうちにささやかに愛されていたことは……?)

喉の奥にちいさな塩湖がある。かなしみも、不意のよろこびも
ひとところへそそぎ、なみなみとひたひたと満ちる。風が吹け
ばうつくしいさざなみが立つこともある。霧が晴れたら湖面へ
つま先をさす。透明な航路をまっすぐにひけ。すべての海へみ
ちを拓く。 水がひく前に。

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