いのちⅢ 他    法橋 太郎

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いのちⅢ 他    法橋 太郎

いのちⅢ

アルチュールは死の床にあった。貧しい暮し
のなかで生きてきた。この世の何もかもを馬
鹿らしく感じていたが今日は違った。硬い板
のベッドにちからなく横たわり、いのちは一
代であと腐れなく終わってゆくんだなと切に
思った。

なにかこの世から取り残されて死んでゆく感
じがしていたがそうでないという確信が湧い
てきた。ベッドの横にある一差の水を妹に飲
ませてもらった。様ざまな世界を見てきたが
それがおれの全世界なんだと。

この世がおれの頭のなかにあるんだったらお
れの死は世界ぐるみの死なんだ。アルと誰か
が呼んだ気がしたがおそらく空耳だろう。胸
のうえに両掌をかさねてみずからの一生を省
みた。

ながく思えた人生がいまでは短く感じられる。
アルチュールは文壇を嫌っていたが今では何
とも思っていない。歴史に残ったっておれの
人生はこの死で露と消えてしまう。結局どん
な人生でもよかったんだ。

嫌だったこの世がなぜか愛おしい。この世に
怨みなど何もない。あらゆるひとを思い出し
感謝していった。恩になった数少ないひとに
も嫌いだったひとにも感謝した。みんな同じ
いのちだったんだと気がついた。

このことを詩に書いておくべきだったなと思
って夢のなかで苦笑した。最後にみずからの
いのちに感謝してアルチュールはしずかに息
をひきとった。

季節のあとに来るもの

季節がなくなった。部屋の外には灼熱の嵐が
吹き荒れた。色褪せた紺のシャツは一層その
色を落とした。食べ荒らされた皿を毒で洗っ
た。孤独なおれたちが行く場所は何処にもな
い。それでも一日のわずかな糧をうるために
魂の荒廃した町に行かねばならなかった。

身のない骨ばった鶏を一羽、ポケットから取
り出したコインで買った。熱湯に入れて羽根
をむしりとりナイフで頸を切りその血を透明
なガラスコップに絞った。そのあと腹を切り
その贓物を黒く汚れたポリバケツに掻き出し
て腸詰にした。堅い痩せた身を火で炙った。
脂が落ちるたびに火は音をたて赤い焔をあげ
た。

皿を並べその細かく刻んだ肉をなるだけ均等
に分ける必要があった。おれたちが生きるた
めにいくらかの毒をも食わなくてはならない。
それでも食後には疲れ果てた身体に血が巡っ
てくるのを感じることができた。毒に犯され
たおれたちの頭はそのまま信じることができ
なくなっていた。おれたちが殺しあわないた
めに共に棲むことは不可能だと身体に吹き荒
れる嵐がそう黙示していた。

疫病

疫病が猛威をふるい三年が経った。スーパー
のガラスは割られ、商店のシャッターは焼き
切られてなかには何もなかった。ある警官が
疫病にかかった者たちを撃ち殺したというニ
ュースが入っても誰も驚かなかった。

このビルの谷間の公園にも飢えた者たちが寄
せ集まって長い一日を幾夜となく生活してい
た。ここには水があり土はアスファルトやコ
ンクリートより暖かい。飢え斃れてゆく者が
後を絶たなかった。死体に肉が残ることはな
かった。

センゾウの眼は蛇のようだった。彼の肋骨は
浮き出し腹は異様にふくれていたが垢にまみ
れ重ね着された衣類の外からは分からなかっ
た。彼の隣に痩せた女が乳飲児に乳の出ない
乳首をふくませていたがもう長くあるまいと
センゾウは睨んでいた。

女が息を引き取るのを誰もが虎視眈々と気ど
られない振りをして待っていた。女が息を引
き取った瞬間、センゾウは泣く赤児を地に叩
きつけ尻の肉に齧りついた。ラジオからはラ
ヴソングが流れていた。センゾウが満腹しお
わるまで誰もが紙縒で作った籤の順番を固唾
を飲んで待った。

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