不安定な記号たち そらしといろ
どこからの帰り道だったか
広い天窓のある駅の改札を出たところで
人がたくさんうねり、うなり、
海として波に崩れ飛沫の一つと成り果て。
溺れるので泳がない、ぽるぽる、球形の
息は天へ配置できない、うつ伏せに流れてゆく途中
斜めに見た紺青の天に見つけられない、兄の背中
(もしかしたら戻っているかもしれない、かえろう)
首都の雪は一際重く冷たい
薄笑いに凝った人々の
顔を打てばどっと吹雪が放たれて
泣け、泣いて思い出せよ、
吹雪より温かい頬で雪、とけている
黒のスーツを着た青年は電柱ごとに人捜しの張り紙を貼っていた
【兄を捜しています!】
顔写真の無い人捜しの張り紙には事細かに青年の兄の情報が記されていた
失踪当時の年齢、最後の目撃地、体格、服装、血液型、性格、ことに猫好きであること
(そういえばこの公園で遊んだこともあった、なつかしい)
青年が、電柱の向こう側にある小さな児童公園の遊具の一つ一つに張り紙を貼るのを
公園に居合わせた人々は、誰も咎めずただひっそりとしている
青年は青いシーソーの座席の雪をはらって張り紙を貼ると、反対側へ腰かける
自然に青年の向かいの座席は、冬空に張り紙を読ませるように持ち上がる
「兄さん、あんまり軽くなっちゃったら、シーソー漕げないよ。」
青年が反動をつけてシーソーを揺らす、日焼けした青のざりざりが冬空を研ぐ
研がれた冬空はみぞれをしたたらせ、役所から夕方四時の音楽がとろとろ鳴る
「兄さん、いつになったら、ねぇ、あの日みたいに、いっしょに帰れますか。」
青年は公園を通りすがった野良猫を持ち上げる、猫驚いて青年の頬を引っ掻く
青年が幽霊でない証に頬から赤い血をしたたらせ、気にせず青年は猫をやぶへ放る
遊具の影が絡まり公園の出入り口を凍結しかける隙間、そろり青年がすり抜けてゆく
……ひっそりしすぎて青年に張り紙を貼られてしまった、ベンチに腰かけていた人の話によれば
「最初は普通の、会社員だと思いました。綺麗にスーツを着ていたので。
襟もネクタイも曲がっていなくて、真面目そうな印象でしたが、
張り紙を貼り続けるという行為を淡々と繰り返すのは恐ろしく感じました。」
山眠る終電車降り猫と行く
襖をそっと開ける、煎餅布団が一組と毛布が一枚、枕元に薬と吸い飲み
納戸に黒のスーツが一着残っているが、もう一着は兄の姿と共に居ない
雨戸で閉めきられた部屋は夜中の海辺を思い出す、生き物の死んだ湿気
いつから私の兄でなくなったか、幻想の兄を捜すこの部屋に居ない兄は
考えながら窓を開け、雨戸を開け、雪を掴む、兄の部屋より雪は冷たい
……何度も雪を掴む、掴むたび兄の部屋より冷たくなる私の手が落ちる
ピアニカの二重線で消されし名いとしくなぞるゆびに呼ばれる