◼️第6回詩歌トライアスロン受賞・連載第1回
◼️第6回詩歌トライアスロン受賞・連載第1回
ひからびてゆきたくない 井口可奈
ていねいに折る、そうしないと回収してもらえない。わたしは昔から背が高かっ
た。〔日盛やチームを色で分けていく〕それにしても草だらけである。とびきり
長く伸びている草はわたしの胸ほどの高さまで育っており、寝酒をするのはよく
ない、まだ喉の奥にちらちらとアルコールの気配がある。〔コピー用紙をばらま
いて硬い枇杷〕何度か折り曲げた草を袋に入れていくと袋に穴があきやすくな
る。たしかに穴があいている、いつの間にか穴は広がっていって、よく育った茎
が何本も飛びだしはじめている。何年か前に髪を染めたときの枝毛の多さを思い
だす。もっと草を入れれば茎がもっとはみだして、さらに草を足していけば袋が
破れるだろう。〔広告の裏透けていて泉湧く〕わたしの甲状腺は大きい。あまり
にも喉の下の方が出っ張っていることを心配されたので、検査に行ったことがあ
る。血液検査とエコーだかなんだかだという装置で診てもらうことになった。マ
ッサージ機のような機械にジェルを塗って喉にあてると甲状腺の大きさがわかる
のだが、くん、と検査技師が軽く唾を飲み、モニターを指で操作しはじめて、彼
女の黙り方から異常があるのだということがあきらかにわかった。新しい袋に草
を入れはじめる。草をむしっていく作業はきらいではない。終わりがわかりやす
いからだと思う。〔山賊に見られた予感昼寝覚〕いいだけ心配させられたが結局
それは異常ではなくて、ただ生まれつき甲状腺が大きいのだ、という話になった。
草むしり。むしられた草。甲状腺を模したキャラクターが診察室に飾ってあった。
ハート型をしていてじつにかわいらしい。先生はカルテを書きながらぬいぐるみ
に触れた。これが甲状腺です、ぬいぐるみですけど、といろいろなことを経てき
た指をたくみに使って電子カルテを操作しながら言った。いま停電したらどうな
るか。草むしりをしていたら気がつかない。草むしりはたいてい昼だからだ。わ
たしの草むしりも昼であった。そのうちに夕暮れ。センチメンタルのようなもの。
はいはいはいと言って立ち上がり手を上げる小学生は自分の回答によっぽど自信
があるのだろう、当てられる前に答えを言ってしまって、別の子が当てられ、そ
の子が同じことを言う。正解だねと褒められるのはその子で、言ってしまったわ
たしは褒められないままだった。草をむしっている。もうそろそろやめないと、
と思う。日が暮れきって真っ暗になる前にはやめたい。〔さざなみのさざの部分
で愛しあう背中がもしもわたしだったら〕草は波、波の向こうは海、この家から
海が見えるのだと祖母は言っていた。そんなわけないだろう、海まで行くのには
車で一時間半はかかるのだから、どう説得しても、いや見える、と祖母は言い
張った。見えると言うのだからそうなのだろう。祖母は絵をよく描いた。離れの
うちの一部屋は絵の具をこぼしても洗い流せるように床がコンクリート張りにな
っていた。水を使う段になると祖母はわたしを呼んだ。わたしはよろこんでホー
スを握り、床中に水をぶちまけた。なにか除草剤でも撒けばきっとこの伸びきっ
た草たちもすべて片付くだろう。でもそれでいいのか、祖母の絵は風景画ばかり
だった。わたしにとってはつまらないものだった。もっと人の絵とか、クローズ
アップされたしゃぼん玉とか、夕焼け、オロナミンCのにおいがする。オロナミ
ンCというのは元気の出るなんらかのビタミンが豊富な炭酸の飲み物で、瓶に入
っていて、液体の色は黄色い。オロナミンCを飲むと崖から落ちそうになっても
復活できたという逸話が数多く残されている。祖母の風景画にオロナミンCをぶ
ちまけたらわたしの甲状腺はすこしは小さくなっただろうか。〔天体を回すため
なら真四角の薬飲み込むことができるか〕あと少し、もう少しだけやろうと思っ
ているうちに夜になっていた。半分も片付かないまま作業を終えることに抵抗を
おぼえながらも、日が暮れてから草むしりをするのは効率的なことだとは思えな
いのでわたしは道具をてきぱきと片付けた。バケツに残っているむしり終わった
草をごみ袋に入れ、口を縛り、まとめて置いておいて母屋の中へ入っていく。母
屋の中は海だ。足首まで海水にひたされながら靴を脱ぎ、居間の方へと向かう。
長い廊下を歩いていく。だんだん水嵩がふえて深くなっていく。膝よりも深く
なってきたあたりで面倒になりズボンを脱ぎ捨てた。すこし歩きやすくなって居
間にたどり着く。おばあちゃんの家としか言いようのないにおいがする。とても
静かで、長寿の秘訣が筆文字で書かれたカレンダーが飾ってある。台所へ行き冷
蔵庫から卵とごはんを取り出す。簡単に炒飯で済まそうと思ったのだ。フライパ
ンを取り出してきてコンロに乗せ、火をつけてみるがなかなか着火しない。仕方
がないので卵を割って飲み込むことにした。栄養は同じ。扶養家族はいない。流
動食のようなとろっとしたものをダイエットに使わないでほしい。栄養を栄養だ
と思わないで摂取することがつらい。なるべくならば仕方がなく食べたくない。
卵をわたしはおいしいと思って飲む。〔走りくる卵をかわしこっちよと言ったら
割れてしまった卵〕あなたの口癖だったと思うのだがどうしても思い出せないの
でなにが口癖だったか教えてくれないか、と問えばあなたは困った顔をする。そ
うか、自分の口癖なんて覚えていないものだよな、と思ってやっぱり自分で考え
てみるから大丈夫、と言えば、失礼ですけどどなたですか、と申し訳なさそうに
あなたは聞いてくる。言われてみればたしかにあなたとの思い出は、わたしがず
っと頭の中で想像して想像して、練りあげてつくりあげて、ちょっと美化したも
のばかりであるように思われてくる。卵の白身が口の端から垂れてくるのを海水
で洗って、テレビの向かいに置いてあるソファーのあたりでぷかぷかと大の字に
浮かび上がって休憩をする。あなたと知り合ったのはいつだっただろうか。いや
さっきの話からしてみれば知り合っていないのだ、一方的に知っただけで、知ら
れてはいないらしい、でも知り合ったという言葉をつい使いたくなる。わたしは
合ったと思ったからだ。〔砂丘から月に一回やってくる砂は郵便受けで溢れる〕
祖母の絵は潮風でずいぶん褪色してしまっているが、まだいくつも飾ってある。
飾ってあるというか、壁に無造作に貼られている。どれも小さい頃のわたしにと
ってはたいして面白くなかった風景画で、大きくなったいま見てみるとなんだか
味があるような気もしないでもないが、それは描いたのが祖母であると知ってい
るから思い出とかあらゆるものによって味付けられているからそう見えるのかも
しれなかった。あなたは祖母に会ったことがある。たまたま近くまで来たからと
寄ってくれた日に祖母はわたしと母の暮らしているマンションに遊びに来ていた。
あなたはちょっと人見知りをして、こんにちは、と顎を引きながら早口で言った。
こんにちは、と祖母は答えた。ケーキ好き?と祖母は続けて言った。好きです、
とあなたは答えた。ないんだけどね、いまは、と祖母は言った。ないんですか、
とあなたは笑って、それから祖母と打ち解けていった。そんな話はなかったのか
もしれない。わたしはあなたと知り合っていないからだ。〔とびとびに空欄があ
り青嵐〕未練はない、ないのだと思う、たまには体をひっくり返しておなか側も
海水に漬ける。すぐに苦しくなって体の向きを元に戻す。いや未練しかない。未
練というかまだ知り合っていないのだから始まってもいない。始まっていないの
に終わったみたいにしないでほしいとわたしは思う。卵の殻が奥歯のあたりでが
りっという。数値。数値が大きい方が勝ちだというのがだいたいのものにおける
ルールであるが、卵の殻はかなり数値が小さいと思う。そのわりにいやだなと思
わせる度合いが大きいので、ある意味コストパフォーマンスがいいのかもしれな
い。この街。あなたが駅に着いたとき、この街には何もないなって思っただろう。
けれどよく見れば色々あるなという気がしていて、まあありふれているかもしれ
ないけれど、駅前には、カラオケ店とか、居酒屋とか、どれもチェーン店かもし
れないけれど、それぞれに活気があって楽しんでいる人がいて、それって悪い
ことではないんじゃないかなと思う。ありがちな街には何もないみたいだけど、
何もないわけではなくて、よく見るとあって、草はとにかく生えるわけで、それ
をむしっていって、むしり終わったらなくなるけどまたいつかは生えるので、そ
うしたらまたむしりに来る。〔手長海老まるごと乗っているパスタ殻を剥くのは
さみしいからだ〕それを不毛と呼ぶ人もたぶんいて、呆れられることもあるかも
しれないけれど、わたしは草をむしるのが嫌いではないので、いいのだ。体はい
つのまにか海水の中に沈んでいて、わたしはソファに横たわっている。海水が肺
に満ちてしまっているからだろうか、すこしも苦しくない。祖母の編んだ籠にお
菓子がいくつも入っている。お菓子のほとんどは海水によってしけっており、そ
して崩れており、なんの菓子であるかがわからなくなっていた。小分けになっ
ているうちのひとつを手に取って、袋のギザギザのところから封を開ける。細か
いくずがぶわっと海水の中に広がっていく。その中にひらひら舞っている黒っぽ
いものがあって、海苔だな、と思った。これは海苔の煎餅なのだ。海苔の煎餅を
海水にすっかり混ぜ込んでしまうとわたしは安心した。眠ってもいいのだけれど
家に帰らないと、明日は用事がある。すごく急ぐ類のものではないけれど、予約
してしまっているから行かなくてはならない。面倒だなあと思う。草をむしって
いたい。草をむしることは楽しい。没頭できるからだ。いつまでも草むしりの時
間が続けばいいのになと思うことすらある。わたしの甲状腺は大きい。人から見
てわかるくらいに大きい。明日も草をむしりたい。〔失踪をすれば探されるだろ
うか細かい泡が出る入浴剤〕チャイムが鳴った。その瞬間どっと海水が引いてい
った。わたしは腰から床に落とされる。はあい、ととりあえずの返事をして、腰
をさすりながらインターフォンの受話器をとる。上京してきたばかりで、りんご
を売っていて、このあたりで、と若い女性の声が言う。売れるまで帰れないので、
買ってほしくて、りんごを、すこし傷は入っているが味はとてもいい、わたすは
青森から来た、と思い出したかのように彼女は方言風の言葉をつかった。〔お花
畑たてに引き裂くチーズ持つ〕病院の予約は明日だが、変更してもよかった。定
期的な検診であってとくべつ急ぎではないからだ。りんごを買ってほしいのです、
と女性は言う。ジュースもあるのです。わたしの反応が芳しくなかったからか、
加工品をも用意しているということを彼女は打ち明ける。ジュースはいいですね、
とわたしは答える。試飲もできるのでぜひ、青りんごでつくっていてとっても甘
くて、でもしつこくなくて、と彼女は言う。それはビタミンが豊富なのですか?
とわたしは聞く。もちろんです、ビタミンCです、と彼女はCの部分を強調して
言って自分で笑った。〔涼しさやスローカーブを投げる機械〕それならば欲しい
です、とわたしは言う。ほんとうですか、ありがとうございます、と言って彼女
はすこし黙る。あの、お玄関まで出てきていただけませんか、と言う彼女の声を
聞きながらわたしは祖母の絵を見る。立派な煉瓦造りの時計塔が構図の重要な位
置に据えられている。その塔は街のどこにいても見えるような高さと明るさを持
ち合わせている。こんな時計塔がこの街のどこにあるというのだ。〔炎天の針い
ずれ刺す上向きに〕あなたはよくやっていたほうだと思う。仕事が忙しすぎてど
うしようもなくなったとき、終電のなくなった頃合いにいまから飲もうよと電話
をかけてきて、いいよ、とわたしは言いタクシーで繁華街まで出た。先に店に入
ってビールを飲んでいたあなたは見るからに疲れていて、だいじょうぶなの、と
いう言葉をわたしは飲み込んだ。だいじょうぶかと聞いてしまってはだいじょう
ぶだという返事がかえってくるに決まっているからだ。だいぶおつかれだねえ、
とわたしはあなたに言った。そうですねえ、とあなたは答えた。ビールといく
つかのつまみを頼むとわたしはあなたが話しはじめるのを待った。どれだけ待っ
てもあなたは一向に話しはじめようとしなかった。わたしの頼んだつまみの最後
のひとつである月見つくねがテーブルに届いたときにあなたはやっと、疲れた、
と言った。よく言えたねとわたしはあなたを褒めた。〔泡立ちのよい洗剤を捨てた
からはやく戻ってきてくれませんか〕あなたはそれから仕事の愚痴を延々と話し、
わたしはひたすらにうなずいた。つまみはほとんどわたしが食べた。すいません、
おりんごなんですけど、と彼女はりんごに丁寧なおをつけて言った。実物をお見
せしたいので玄関の方開けていただけませんか、と彼女は続ける。そうなんだよ、
とあなたは言う。わかってないんだ、だれもわかってない、と彼は冗談っぽく言
う。それが本音であることをわたしは感じ取っている。わかっているのはお前だ
けだ、と言ってもらえるのをわたしは待っている。しかしわたしとあなたは知り
合っていない。〔ていねいな芝居・紙切れ・投げ入れるタオルわたしはまだやれ
るのに〕玄関へ出ていきドアを開けるとりんご売りの女性が立っていた。ほっと
した顔を見せた彼女は小柄で、童話に出てくるような子どものような布を何枚も
纏う服装をしているが、年頃はわたしとそんなに変わらなそうだった。おりんご
のジュースがこちらで、二本買うとすこし安くなります、三本だともっと、と一
升瓶に入ったジュースを掲げながら彼女は言う。どうやって運んでるんですか、
と聞くと、リヤカーに乗せて運んでます、と言う。それはおつかれさまだなとわ
たしは思う。祖母はくだものが好きだった。〔さくらんぼふらふらしながら立つ
子ども〕リアカーというのはどこに置いておくものなんですか、とわたしは聞
く。いやね、リアカーというのは普段使わないでしょう。折りたたみテーブルみ
たいに折りたためるものでもないのでしょうし、どこかに保管しておかないとい
けないんだと思うんですけれど、そういう倉庫とかがあるんですか、リアカーの、
リアカーの集まっている倉庫が。わたしが言うと彼女は、まあ、そうです、と
言葉を濁して言った。それではそこにりんごもたくさん蓄えてあるのですか、り
んごジュースも、それはとても楽しそうな場所ですね、すこし陰鬱かもしれない
けど、ほら倉庫というのはいつでもすこし陰鬱だから、なんであんなに暗くてほ
こりっぽいんでしょうね、明るくて開放的で初夏の風が吹き込むような倉庫があ
ってもいいと思いませんか。わたしは言って財布を取りに玄関のドアを閉めて居
間へ戻る。また水がすこしずつ部屋に満ちはじめていて歩きにくい。祖母の絵が
一枚斜めに傾いているのでなおす。〔停電の後の気まずさあたらしいCMの最後
だけが映る〕明日の病院は何時からだったか、と考えながらわたしはかばんの中
に入っている財布を取り出す。りんごジュースは一本いくらくらいなのだろうか。
値段を聞くのをすっかり忘れてしまっていた。年齢のことをわたしは考えないよ
うにしていた。あなたは気にしているようだった。あなたより少し歳が上である
わたしは、年上だからといってえらそうにしたり、お会計をあまりに多く出した
り、人生のアドバイスを与えたりしないようにしていた。まあいくらかの現金は
持ち合わせているから、とりあえず財布を持っていけば足りないということはな
いだろう、クレジットカードで払ってもいい、と思いながらわたしは玄関に出て
いった。りんご売りの女性はもういなかった。〔すぐにくるはずの返事や水中花〕
わたしは財布を持って居間に引き返す。廊下はすでに水が溜まっていて歩きにく
いがズボンを脱ぐことはしない。ソファの脇に置いてあるかばんに財布を入れる
ために水の中に潜って、目を開けて、ぼんやりと見えるかばんの仕切りの間に財
布をねじこんだ。草むしりはまだ終わっていない。明日は病院の予約がある。と
ろけるチーズをとろかすことが楽しみで仕方なかった時期がある。〔テロップの
文字の大きさ梅雨開ける〕シュレッドチーズではなくとろけるチーズを買ってく
るのは、とろけるチーズをグラタンの具の上に敷き詰めて、焼くと、はじめはゆ
っくりとろけて、それから下にある具の形に貼り付いてぼこぼことした模様を作
りだすのがおもしろかったからだ。焼き上がったときにはもうぼこぼこしておら
ず、こんがりしてちょっとふっくらして、ぼこぼこしてましたみたいな様子は一
切見せないところが面白い。祖母はカルチャーセンターを嫌っていたがカルチャ
ーセンターに通っていた。〔いくつものおんなじ部屋が教室と呼ばれることがい
や、夏の果て〕わたしの甲状腺は大きくてぼこっとしている。触れてもこの中に
甲状腺があるのだということはよくわからない。ふにふにしている。ふにふに。
いやだなあいやだなあと言いながら祖母はカルチャーセンターに通い絵を描いた。
家でも絵を描いた。どこの景色なのだかわからない風景画を参考資料もなくひた
すらに描きつづけている祖母のことがわたしはすこしこわかった。祖母は健康の
ためによく卵を飲んでいた。いや、そんな事実はない。祖母は生の卵を飲んでは
いなかった。〔蛍光灯ひかりはじめるときに鮨〕海水はさっきよりもすこし引い
ていて、ソファに座ると肩から上が水面から出た。首をぐっと後ろに倒してソファ
の背にもたれると後ろ髪がわずかに濡れた。