短歌時評 第59回 田中濯

世界への感謝をすがめに見る  田中濯

短歌研究(2012.7)の特集は「うたう☆クラブ―10年の軌跡」であった。「うたう☆クラブ」とは、短歌研究誌が、他の全ての文藝誌に先駆けて導入した、webを介した「双方向型」の「短歌添削欄」である。ひとつの短歌が、選者と作者とのやり取りを経てブラッシュアップして「完成形」に至る経過を掲載した、前例のない企画である。編集部が10年という歳月に耐えたこと、時代を遥かに先取りしていたこと、各選者が並々ならない努力と試行錯誤をおこなったこと、なにより次代の才能が集まり花開いたこと、これらすべてを祝福したいと思う。おめでとうございます。

さて特集自体は、歴代の選者四人からなる座談会、現選者による提言、「うたう☆クラブ」の大賞受賞者による15首連作と、「うたう☆クラブ」を経た10人によるエッセイからなっている。ここでは、気になるところがあったので、本題に入る前に座談会での穂村弘の発言を挙げておきたい。曰く、

穂村 加藤さんと坂井修一さんと私の編集でやったんですよね。今の歌壇のシステムでは掬い取れない層がいるという意識が漠然と「短歌研究」の編集部にあって。それと、インターネットというツールを使ってやりとりをしようというところは面白い発想だったなと思いますね。「うたう☆クラブ」が始まったとき、「あ、裏表紙のこっちから、横書きか」というのがけっこうインパクトがあって、これは一面において新しさのアピールみたいな部分があったと同時に、実際、見たまんまというか、ネットでやりとりすると画面上ではこうだから誌面でもこうなる。かつ、ややアリバイ的にというか、「ちょっと違う感じだから許してよ」みたいなところもあったんじゃないのかな。歌壇的には全然別ルートから人材が流入してくることを必ずしも望まないというところもありますからね。
 栗木 そんな排他的な感じだったんですか?
 穂村 それはあるでしょう。自分は何十年もこのシステムの中で研鎖を積んでいるのに、いきなりどこの誰だかわからないやつがインターネットとかいう近道で歌を活字にして、みたいな思いは。(下線、田中)

とのことである。このような本音はあまり聞きたくはない類のことであり、また、彼の「短歌の作者」観がやはり単純に過ぎていたことを再確認することになり、率直にいって落胆した。ここでは、「古い」結社・紙媒体所属の作者を落としめ、web媒体所属の「若者」を推し出す、という思考があったことがよく見える。なるほど、確かに10年前ならそのような「戦術」も可能であり必要であったのかもしれない。時代は変わったものである。ただし、この座談会での栗木・小島のしたたかな発言を眺めると、思考の転換を図らねばならないのは、あるいは過去を省みなければならないのは、そろそろ穂村であるようにも思える。彼がこの10年に「若者」を牽引してきたのはまぎれもない事実だが、いつまでもその「若者」は若くはないのだし、応募してくる層も「10年前の彼の単純な作者観」では測れない人生体験を経たひとびとが増えてくることは間違いのないところである。多様性を前提とするwebで、「10年前の穂村」のような思考が今後もはばかることがないように注意しておきたい。

では本題に入ろう。私が注目したのは、「うたう☆クラブのころの私」と題する、過去は無名だったが現在では名を上げた10名からなるエッセイである。これらのエッセイが、基本的に、「未熟でいまいちだった私」が「うたう☆クラブ」を経てそれなりになりました、という構造を採っていることは否定できない。一人ぐらいは「うたう☆クラブ」を批判してはどうだろうかという思い、なんだか何かのコマーシャルを見ているようで白ける思いがあったことは告白しておこう。ただしそのなかで、明確な「スティグマ」を表明している面々もおり、それは興味深く思った次第である。

そんな自分を表現にまた向かわせたのは、アメリカのアフガン侵攻であった。/松木秀 
それまで基地詠、時事詠は作っていなかったと思うが、この歌は事件後割とすぐにテレビの映像を見て詠まれている。/屋良健一郎 
 (田中注:「事件」とは2004年の沖縄国際大学キャンパス内への米軍ヘリ墜落事件を指す)

これらの発言の性向は、私にはシンパシーのあるものである。これらの発言を導いてくる発想は、私にはなじみの深いものである。歴史の傷、への眼差し、私にとっては東日本大震災・福島第一原発事故への眼差しであるが、それはなにか類似しており、どうやら、彼らの過去は私の過去ともリンクしているようである。あるいは無礼を承知で言うならば、「我々」の過去ともリンクしているようだ。少なくとも、世界が自意識と直結している、いわゆる「セカイ系」でないことは確実である(もう、終わった用語かもしれませんが)。端的に言えば、歴史のなかに自分を位置づける意思があるかないか、ということが、これらの発言を生むか生まないか、という差になったように思える。他のエッセイは、おおむね、リアルの歴史とはかけ離れた「自分が主人公の世界」の住人の手によるものだという気がしたのである。それが良いか悪いかは、ここでは問わない。

さて、ここで私が述べるのは反則かもしれないが、現在の短歌はややリアリティ重視に偏り過ぎているのではないかと考えている。あるいは日本の文藝全体がそうなのかもしれない。なにしろ書店の本の並びは、フィクションよりノンフィクションが目立って優勢である。また、アンチ・リアルの牙城であったwebも変質してきたように思える。初音ミクがリアルの場で市民権を獲得したり、匿名的だったミクシィに代わって顕名的なフェイスブックが受け入れられつつあること、または「違法ダウンロード禁止法案」が可決されてしまったことは、その証左ではないだろうか。これは、個人的には少々残念な方向である、ということは述べておこう。

ここで何を言いたいのかといえば、私は、私の過去とリンクしていないエッセイを書いた人々にこそ、あえて期待しておきたい、ということである。別にリアリティばかりが文藝の対象ではあるまい。実はこの短歌研究2012.7号で私が一番嬉しかったのは、新しい作品連載の作家として、紀野恵が久々の大作「土佐日記殺人事件I」を掲載していることであった。紀野恵は2004年に『午後の音楽』を出して以来歌集を出していないのであるから、これは事件である。というのは、この作品連載はその後の歌集出版につながる可能性がかなり高いためである。かつて圧倒的な才能を誇った虚構系の歌人の復活を寿ぎたいところである。そして、「うたう☆クラブ」出身の歌人から、彼女を脅かす存在が育ってほしいと強く願うものである。

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