歌はどのように読めばよいか
「歌壇」10月号の特集「歌の「読み」を考える」を読んだ。冒頭の斉藤斎藤の文章「てにをはの読解が第一」と、次に並べられた加藤治郎の「水銀とレインコート」が、対照的である。
書かれたものは読者のもの。自由に読んでいい。
そういう言葉を聞いたことがあるだろう。加藤治郎が紹介しているのは、主にその自由さについてである。歌の読み方のバリエーションを示す最も好例といえる、近藤芳美の有名なレインコートの歌の鑑賞のさまざまを紹介している。
加藤は冒頭に「作品を離れて、作品を取り巻く情報から読み解くのは本末転倒である。」
と述べている。そしてまずはテキストに即した自分の読みを提示している。
水銀の如き光に海見えてレインコートを着る部屋の中 近藤芳美(『埃吹く街』)
これについて加藤は、格助詞「に」の働きの的確さをまず述べたあと、このように書いている。
「レインコートとあるから雨の日の海である。それでも「水銀」とは歌わないだろう。銀色のといった描写で十分である。が、作者の内面にはそれでは釣り合わなかった。水銀と歌わなければならなかった。水銀は猛毒であり、生の源であり豊穣な海の像とは真逆である。それだけ苦く沈鬱な内面を抱えていたのである。」
「よく分からないのは「部屋の中」である。少し補正して読めば、レインコートを着てこれから出かける場面は想像できる。(中略)「部屋の中」が妙に落ち着いていて、出かける様子は感じられない。なぜ部屋の中でレインコートを着ているのか」
そして最後にこのような解釈を提示している。
「彼は、窓の外を見た。水銀に似た海の光に思いがけず沈鬱な内面が照らし出された。彼は、レインコートを着たまま棒立ちになっている。異様な光景だった。彼の意識は、すでにこの部屋にはない。」
これが加藤による先の歌の、テキストに即した読みである。この読みについては、また後で述べる。
次に加藤は、吉田漱による「仕事をする部屋はビルの六階。」という近藤の当時の勤務先の階数を特定した上での解釈を「エピソード読み」の例としてまず挙げ、さらに田井安曇による読み、寺山修司による読み、と並べてそのバリエーションの広さと自由さを示す。そして最後に、近藤芳美による自歌自註がひかれている。読み物として大変面白い。
「新聞はこの冬の餓死者を百万人と想像した時期の日本である。食糧のみならず何も彼もない。暖房の通らない清水組社屋から東京湾の海面が見えており、寒いので各自レインコートを着たまま働いている」(田井安曇『近藤芳美』)
「部屋の中で、包みをほどく。と、真新しいビニールのレインコートが出てくる。妻が、それを着て立つのを見ているうちに作者はふいに、そのビニールのレインコートに反射する光の中から、海の記憶をとりもどす。」(寺山修司「現代百人一首」)
「京橋の、勤め先の一室である。一日が過ぎ、家に帰ろうとしてレインコートをまとう。昏れかける窓の外には焼け原の東京の下町が低くひろがり、そのはてに、暗く垂れ込めた曇りの下に一筋海がきらめいていた。それを、寒々しい水銀のひかりのようだと思った。」(近藤芳美『歌い来しかた』)
加藤は「これ(自註)を正解とする必要はないだろう。もっと素晴らしい読みが生まれる可能性はある。それが秀歌というものなのだ。」
と述べて論を閉じている。
率直に言えば、挙げられた近藤の歌一首だけを読む限り、それほど多様な読み方ができる歌だとは思えない。『埃吹く街』を通して読めば、背後にある戦後日本の荒廃とそこに生きる人の心情を感じることができるわけだが、この歌の魅力は、そういった背景を知らずとも瞬時に感じ取れる。
にもかかわらずこんなに読み方が違う理由は、加藤の述べているように「エピソード」をどれくらい盛り込むか、すなわちどのくらい歌から離れた場所から情報を掬い取るかということによる違いだが、他にも理由があると思われる。
吉田漱、田井安曇、加藤治郎のいずれも、年齢差はあるが近藤芳美が創刊した「未来」に深く関わる人々である。この三者の歌の読みのバリエーションの多様さは、近藤芳美をよく知っていることによる多様さである可能性が一つ、予想される。吉田の「ビルの六階」や田井の「暖房の通らない清水組社屋」のあたりに、作者に近い者のもつ情報の気配がある。それらの情報が、歌の読みを限定または著しく飛翔させることがあるかもしれない。加藤の冒頭の「テキスト読み」の、不自然なほどの限定ぶりと著しい逸脱の様子も、歌集や作者についての情報を熟知していることによって、もはや純粋なテキスト読みができなくなっていることがよく表れている。
寺山修司が、歌のなかに登場しない「妻」を持ち出して自由な読みを展開させ得たのは、「多様な私を創出した寺山」(加藤)らしいということのみならず、余計な情報がないことにより飛翔しやすかったとも言える。
また、これらの文章がどのような場所に書かれたものかということも考慮に入れたい。
吉田漱による「ビルの六階」は、『埃吹く街』と『黒豹』に収められた歌すべてに三行程度の註釈をつけてある『近藤芳美私註』という書籍のなかの註部分にあり、以降この歌を読むときの決定事項として影響を与えた。
田井安曇はそれを受け、「戦後日本」をさらに意識して解釈しているが、この文は『近藤芳美』という「短歌シリーズ・人と作品」の中の一冊として編まれ、前半の「作家研究編」の中に置かれている文章なのである。
寺山修司の「現代百人一首」は、冨士田元彦の依頼の書き下ろしで「じぶんの好きなものを選び、それに勝手な鑑賞をつけた」とあとがきにある(『黄金時代』)。たとえば「両の眼に針射して魚を放ちやるきみを受刑に送るかたみに(春日井建)」について、「愛し合っていた年上の男が、犯罪をおかして、刑務所に送られることになり、少年はとりのこされることになった。刺青を彫り込んだ年上のやくざな男が、何の罪を犯して刑に服することになったのかは、この場合大して重要ではないだろう。」と書き出しているのを見ても、散文として面白くするための工夫と演出が、かなりなされている。
読み手それぞれの目的に沿って、どのような読みを選択するかが決められた。鑑賞のバリエーションが多様になるのは当然とも言える。加藤治郎のこの文章の面白さは、歌そのものよりも散文的読みに奉仕することの面白さを、示しているように思う。
対して、徹底した散文的読みの排除と歌のみへの奉仕を示しているのが、斉藤斎藤の文章である。
「名詞以外に手がかりの乏しい歌の読みは、個々の読者がもともと名詞に抱いているイメージに依存するため、読者の好みに引き寄せられた「迎えて読む読み」になりがちである。純粋読者を対象とするエンターテインメントならそれでいいし、読みの自由を最大化する短歌があってもよい。と、物わかりよく構えてしまえばここで本稿が終わってしまう。ので、短歌とはそのようなものではない。」
「歌を読むときには、周辺情報をいったん括弧に入れて、まずは一首そのものを読むのがいい。一首そのものを読むときには、何が書かれているかではなく、どう書かれているかを、「てにをは」や語順や句読点や一字空けを、ていねいに読むのがいい。品詞で言えば、助詞・助動詞や副詞や接続詞を読むのが先で、その手順をすっ飛ばして名詞をつまみ食いし、勝手な連想を広げてはならない。」
突き刺さってくるような文章だ。怒られている気分になる。
斉藤は「文語のひとのほうが、口語のひとよりも、一首の読みを名詞に頼るパーセントが高い」
と書き、「その責任は、正岡子規にある」
と述べている。この、文語のひとと口語のひとの使える能力の差を述べるくだりへの展開も含めて、一行も休まず徹底して、他者の歌を、自分をまったく要れず読むにはどうしたらいいかを述べた文章に、つよく引き込まれる。
読みのバリエーションの多様化を推進したのは、前衛短歌のせいもあるだろう。具体的な出来事が示されていないから、埋まっているものを掘り出すように読まなければならない。近代短歌を読むときのような方法がとれず、喚起力の強い名詞や動詞を手がかりに、あれこれ解読しなければならない。たとえばこんな歌。
これには、斉藤がまずていねいに読むようにすすめた助詞が、「の」一文字しかなく、名詞率がとても高い。斉藤が引いた大辻隆弘(『子規への遡行』)の指摘である「漢語や外来語を含めた名詞を最小限のてにをはで繋いだ、イメージの喚起力がある「写生」の文体を(筆者註・子規が)確立」
した先に、このような歌群が一時代を築き、現代短歌の読みにも未だに深い影響を及ぼしている。
とここまで書いて気づくのだが、「読む」ことはそのひとの能力と来歴のすべてが出るのだった。前衛短歌、とここで私が出すのはその影響を強く受けきたせいだし、助辞の能力が弱いのもそうした来歴のせいなのだった。
なので、自らの肉体で他者の肉体から出た言葉を読むためには、できるだけ弱かったり使えなかったりする筋肉を少なくしておいたほうがいい。でないと、そこが読めないことになる。
「なんだか歌を読むのってたいへんそうで気が重くなっちゃったなぁ」と思った方のために、ひとつ思い出したことを最後に記して、終わりにしたい。
塔短歌会の2008年に行われた全国大会のパネルディスカッションは「読みをめぐって」というテーマで、四名の歌人が一首をめぐってそれぞれの読み方を提示していくものだった。
そこで、以下の歌について議論になった。
秋の日の
これについて奥田亡羊は「白秋はこの歌を詠んだとき糖尿病が悪化し失明状態にあった。このことは一首の読みを考える上で重要な要素だと思う。」と配られた資料に書いている。
対して大島史洋と内山晶太は、歌のみの鑑賞に徹しており、このときの白秋についての情報には一切触れていない。
内山晶太の鑑賞が的確で美しいので、少し引き写す。
「秋の空気に沁みてゆく光の白。それに触れて澄んでゆくわたし。思いの果てに、思うことさえ消えてしまったような、わたし自身が粉のようになって秋の空気と一体化してしまったような、そんなすがすがしさがある。(略)三句目、四句目のつながりが不思議な流れ方をしているように思う。「おもひ」と「思ふ」が、ちろちろっと乱反射する感じがあって、わたしは光の臨場感のようなものを受け取った。(略)魚のように一瞬身をひるがえす光が、内容からでなく、言葉の流れから導かれてくる、そんなところがある。光の埒外から光を感じさせる作品」
ディスカッションでは、白秋が実際に失明状態にあったことをどの程度盛り込んで読むべきか、という点に話が絞り込まれた記憶がある。
「塔」の結社誌にはこの様子は記録されていなかったので、パネルでの発言をこうした場所に記すのはためらわれるのだが、私は以下の言葉をメモし、現在にいたるまで強く記憶している。
まず内山晶太が「実人生の引力はすごく強いから、気をつけるべき」
と言い、大島史洋は「歌の読みはファーストインプレッションが一番大事。いろいろ知ったら、もう戻れないから。知ったあとの線引きは、自分で決めるしかない」
と言った。
一読して「あ、いい歌だな」と感じること。まずそれが大事なのだと思う。
そこから、どうして自分はこれがいいと思ったのだろう。どこがいいのだろう。どうしたらそれを説明できるだろう。この語はなぜこの位置にあるのだろう。等と考えていき、さらに歌集を読み、作者の当時を知り、来歴を知り、といった進み方をしていく。でも最初に「あ、いいな」と強く思ったこと、その第一印象を信じていい、と大島は言ったのだと私は思っている。
自分と違う肉体と精神を持つ他者の書いた歌を読むためには、時間がかかる。大変で難しいかもしれないけれど、なんとかして近づきたい。理解が不足して歌を小さくしたり、過剰に読みすぎて歌を大きくしたりしないようにしたい。第一印象で感じたものをよすがに、諦めない。そのようにして、歌を読んでいきたいと思う。