鷽 加納裕
尻落ちて膝の突き出たスエットの
顔色悪きすっぴんは
不安にすこし硬くなり
ただ壁薄きアパートの
スマホの灯りに青々と
照らさるるだに悲しかり
前髪留めしピン留めの
キティは無言貫きて
鏡に映る目の隈へ
愛想なき目を投げにけり
既読とならぬ文字列の
スマホの向こうへ呪詛を吐く
過呼吸気味の佐保姫は
春あかつきに孤独なり
あゝ北千住の横丁の
ごみ収集車の轟音に
舌打ち一つ吐き捨てて
横に咥えしメビウスの
煙を太く吐きながら
二センチほどの隙間から
朝焼けゆくを眺めけり
下着から出る肩口の
マリアのタトゥーそのままに
少し粟立つ諸肌を
毛布にくるみ俯いて
あゝこのクソと呟けば
立ちくらみするもあわれなり
無言にスマホ投げ棄てて
ふとその頬に朱の差して
化粧する間もあらでやと
一瞥ひとつくれもせず
取るものとてもとりあえず
部屋飛び出してゆきにけり
机にキティのピン留めと
手鏡一つ置いたまま
二度戻ることなきアパートの
冷蔵庫のみが唸るまま
ゆく春惜しむ事もなく
行方くらましてしまいけり
あれから幾年経たろうか
春夏秋と冬の過ぎ
あの北千住の隅にある
あきらめ色のアパートは
まだ取り壊されずありにけり
格安家賃そのままに
家主の老いのそのままに
かなしき人が住むという
さみしき人が住むという
ある時ガチャリと音のして
建て付け悪き戸は開き
眼を射るような朝の日に
一羽の鷽が居たという
逆光となる闇の中
一声高く啼きそめて
羽ばたき去りてゆきにけり
机にありしピン留めと
手鏡だけはそのままに
冷蔵庫のみがブンと鳴り
やがて無音をかこつかな