アマポーラ  正岡豊









アマポーラ  正岡豊

蝋燭の灯が消えるのも命の火が消えるのもカーネーションは気づかず揺れる

   ★

アマポーラ 生きてる時も死ぬ時もクロッカスが咲く時も地球の自転が止まる時も

アマポーラ 咲くだけ咲いたひなげしがきみのスカートの中で笑った

アマポーラ 何度ぼくらがキスしてもエホバの甕から水はこぼれて

アマポーラ もうこれ以上愛せないという場所までいってきたユビュ王に

アマポーラ そらいろをしたくちびるがそこで戦う岩舘真理子

   ★

  きみには「全部」という理由がある
  大地はひしゃげ
  空には国連派遣軍の衛星高度戦隊があり
  街は市街戦
  瓦礫のかたわらで誰かがまたうつ対戦車砲
  EDS(ヨーロッパ・ディフェンス・シンジケート)は
  もう影も形もない
  きみが名づけた「電話のお姉さん」は
  昔そこに所属していた
  ぼくはそこで
  「きみが働く非政府機関にまたひとり飛び込む逃亡の政治犯」とかいう
  くだらない歌を書いたりしていた
  (その一連は野谷真治が出していた「蒼天」という雑誌に載せた)
  彼女はかえってゆく
  そこへいつかかえってゆく
  彼女にはそこに帰る理由があるから
  そしてぼくには
  きみを愛する理由がある
  なぜなら
  きみはぼくの「歌」だから
  触れた指がそのまま黄金になり
  白鳥がそこで翼を休め
  シロナガスクジラとカーネーションが見事に愛し合う
  きみはぼくの歌だから
  何も心配する必要はない
  ぼくはもう青色手配にも赤色手配にもならない
  きみが眠り
  きみが目覚め
  「おはよう」
  とぼくがいい
  「・・・おはよう」
  ときみがいうことだけが
  いまのぼくの望みだから
  きみはぼくの「歌」だ
  かがやき さからい
  とまどい くるしみ
  さからい からかい
  いとしく くるおしい
  千の小鳩よりもかわいく
  二十の秘密の扉よりもミスティックで
  どこまでも長い髪の河をもち
  太陽神よりもまぶしく
  死の神々よりもさらにせつない
  きみはいまぼくの「歌」だ
  きみのために旧ロシアの詩人たちはウオッカを飲むだろう
  きみのために北米マジックリアリズムの作家たちは
  新しい文体を模索するだろう
  それらすべてが虚妄だとしても
  きみはぼくの「歌」なのだ
  やくたいもなく 永遠の無がただようこの世界で
  ぼくが生きるたったひとつの理由なのだ
  ああ、セオドア・レトキーよ
  わがいとしき聖ハロルド・ピンターよ
  ぼくはきみのひざで泣く
  再び 明日の地上で
  「ローラースケートをはいた馬」、ネグロ・カバロに
  ウインクをしてほほえむために
  いま12時をまわった
  きみがまたナキウサギのような顔をしながら
  夜の中で誰にも犯されない
  秋の眠りのなかにいればいいと思う
  ひたすら
  それだけを願う
  ひたすら
  それだけを

      ★

眠りのなかで見えるものから順番に聖書・にわとり・正岡子規の死

広い河原がみえたからって はだかになったからって 梨の味の点滴

ぼくらが明日海に出たとしても王宮の喫茶室では黒い紅茶が

それは電波だ 金星のテラ・フォーミングなしとげて眠る長官の頭

執筆者紹介

1962年生。「獏」「短歌人」「琴座」「未定」「かばん」等を経て、現在「sai」同人。

1992年「第五回俳句空間新人賞」を筆名・桐野利秋で受賞。このときの選考委員が四ッ谷龍と宇多喜代子というのはちょっとおしゃれだと思う。

1990年歌集「四月の魚」(まろうど社)刊。のちに「短歌ヴァーサス」6号に増補版掲載。現在京都在住。「東寺通信」を不定期で発行。

タグ: None

      
                  

「作品 2011年6月10日号」の記事

  

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress