昼だけの町 吉川宏志
古き映画の焼け跡をゆく人のごとく倒れし壁をひゅっとまたぎぬ
海水の高さは壁に黒ずむを見上げてゆけり春の陽のなか
流れ来しアダルトビデオが路にあり泥かわきつつほほえむ女
青きタイル散らばり春の陽を浴びぬ七百人ここに死にしと聞けり
よく見てほしいと言う人がそばにいて泥の覆える家跡を見る
二キロ逃げる 走りて逃げるほかになく後ろから順に呑まれてゆきし
透明な死が横たわるいくつもいくつも春のひかりと同じになりて
あおぞらはただひろがれり死者の声を聴くといえども我にきこえず
目に見えぬ汚染のなかに白菜のむらがり立てり黄色き縮れ
被害者としてばかり見るなという声の胸に残りて荒れ道をゆく
昼間のみ人の入れる町という 影ゆらしつつ人あるきだす
旅として過ぐる被災地 魚など食ぶるといえど一日のこと
作者紹介
- 吉川宏志(よしかわ ひろし)
1969年、宮崎県生まれ。京都市在住。「塔」選者。
歌集に『青蟬』(現代歌人協会賞)、『燕麦』など。
評論集に『風景と実感』などがある。