静物 吉岡実
夜の器の硬い面の内で
あざやかさを増してくる
秋のくだもの
りんごや梨やぶだうの類
それぞれは
かさなったままの姿勢で
眠りへ
ひとつの諧調へ
大いなる音楽へと沿うてゆく
めいめいの最も深いところへ至り
核はおもむろによこたはる
そのまはりを
めぐる豊かな腐爛の時間
いま死者の歯のまへで
石のやうに発しない
それらのくだものの類は
いよいよ重みを加へる
深い器のなかで
この夜の仮象の裡で
ときに
大きくかたむく
今回の私の「日めくり詩歌」のコンセプトは、戦後詩の主要詩人の作品の紹介である。鮎川信夫の次は、戦後詩のあまりにも有名な一編。吉岡実の「静物」を取り上げる。この作品は一九五五(昭和三〇)年に刊行された『静物』に所収されている。当時吉岡は三十六歳、筑摩書房の編集者だったが、詩人としては無名で、詩集はささやかな自費出版だった。しかし、この詩集が多くの詩人に衝撃を与え、つづく『僧侶』で一九五九年のH氏賞を受賞した。戦後詩の中でも、最も劇的な詩人の登場のひとつである。
作品は何とも静謐で美しいが、けしって静止ではなく、散る瞬間の葉や波頭のしぶきのように、ごく一瞬のバランスで成り立っている。「あざやかさを増し」「いよいよ重みを加え」「大きくかたむく」のだ。いま崩れ落ちようとする瞬間の、緊張が全編のみなぎっている。あらゆる存在は滅びていくゆえにある、とても言いたげな「腐欄の時間」の、やや形を失い変えた甘やかさを感じさせる言葉たち。それはけしって平和な日常の視線ではない。
吉岡は太平洋戦争の四年間を、中国大陸で戦争に向き合っている。二二から二六歳の多感な時期である。特に、一九四三年以降は、軍を皮肉った劇を上演したという理由で、最前線に近い過酷な部隊に配属されている。さらに、「最愛と」自らも書いている両親が、戦争中にはやり病で死んでいる。このような体験は、存在そのもの危機を起こしたとしても、何ら不思議ではないだろう。
ここにある危ういバランスは、戦後の平穏に落ち着いてきた社会の中でも、なお死と向き合った時間を感じざるを得ない、大きな違和感の表れといっても良い。リズムにしても、さすがに戦前俳句に深く関係していただけあり、定型の微妙なずれが、言葉の身体にまで届いている。ちなみに一行目を七五調で分けると、「夜の器/の硬い面/の内で」と、まったく当てはまらない。しかし、その後は字足らず字余りも考えに入れれば、ほぼ七五音で分けられる数行が続く。しかし、最後の一行前に、「ときに」と途切れるような一行、が入ることにより、詩のイメージはより不安定さを増す。言葉はすべてが崩壊する瞬間を予感させ止まる。