日めくり詩歌 自由詩 森川雅美(2011/11/03)

腐刻画   田村隆一

 ドイツの腐刻画でみた或る風景が いま彼
の眼前にある それは黄昏から夜に入ってゆ
く古代都市の俯瞰図のようでもあり あるい
は深夜から未明に導かれてゆく近代の懸崖を
模した写実画のごとくにも想われた
 
 この男 つまり私が語りはじめた彼は 若
年にして父を殺した その秋 母親は美しく
発狂した

 田村隆一はいうまでもなく、戦後を代表する詩人の一人であり、『荒地』というと、鮎川信夫と共にまず上げられる名前だ。当然、他の『荒地』や戦後詩の第一世代の詩人と同様、十代から二十代の前半という多感な時期を、戦時下に過ごした。ただ、他の多くの詩人に比べて、戦争体験は過酷ではない。南洋にも大陸にも出兵していない。ずっと国内にいて、そのため死は観念的なものであり、実際に肉体に迫ってくるものではなかった。そのことが良しにつけ悪しきにつけ、田村の詩を規定している。同時代の多くの詩と比べて、優れて観念的で特定の死者を有していない。

 掲出の詩は、一九五六年に刊行された第一詩集、『四千の日と夜 1945-1955』(東京創元社)に 、収録されている。良く知られているように、戦後詩の出発点を示す詩集であり、今の詩では考えられないことだが、広く社会に衝撃を与えた。同詩集は表題作をはじめ、珠玉ともいえる名詩で構成されているが、一連の散文詩がその中でもひときわ優れていると、私は思っている。さらに、その中でも掲出の作品は白眉だ。

 そして、ここまで短い散文詩はたぶんめったにない。そのため、とても複雑な構造を持つ。あるいは、散文詩ということ自身が的確でないかもしれない。多くの散文詩がその名の通り、切断よりも接続によって意味をなすのに比べて、この詩は一行の空白を中心に成り立っている。無限の欠如が支えているといってもいい。物語はその欠如ゆえに永遠に未完であり、すべては過程として置かれている。その欠場は深さゆえに、逆に空白に対する抗いであり、詩の言葉を立ち上がらせている。

 さらに、不思議なのは詩のリズムだ。はじめは五七七、五七という七五のリズムからはじまり、少しずつ律が崩れていく。そして、一行の空白の後は、またほぼ七五に収まるリズムだ。その中で「彼は」という三音だけが、妙に強調されて響く。

 この不思議な構造とリズム。故に開かれる無限に遠い空間。このような達成がすでに戦後のはじめにあったことを、驚かないわけにはいかない。

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