13 森の家 一色真理
森の家へ行きたい。もう何年も桃の林をくぐり抜けて、灰色の鉄の橋を渡ったことがない。川岸には翼のない鳥が何羽もたたずんでいて、今もぼくをじっと待っていてくれるだろうか。木の間隠れに見える白い屋根の下で、森の家は両の眼を固く閉じて、ぼくを夢見てくれているだろうか。立てつけの悪いドアをこじ開け、床を踏み鳴らしながら、大声でぼくが「ただいま」と叫ぶその日がやってくるのを。
森の家にぼくが置き去りにしたもの。コップ一杯の苦いビール。長くて臭い蛇の抜け殻。底が抜けたままのインク壺。染みだらけのTシャツ。砕けた骨灰になってしまった愛犬ハニーの錆びた鎖。そして朽ち果てた壁をおおう、一面の蔦。いや、ひとつとしてぼくが持ち出せたものなどありはしないのだ。逃げるように、ぼくは鍵を閉めた。きっとぼくは怖かったのだ。森の家が少しずつぼくの顔に似てきて、いつかぼくそのものになってしまうことが。
ぼくは街で鍵穴だらけの小さな家を建てた。新しい犬を飼って、もう一度ハニーと名づけた。でも、その家はぼくの顔には似ていない。
その家はぼくのいちばん嫌いな顔に少しずつ似てくる。額には青筋が立ち、眼は血走って落ち着きがない。三〇年前、ぼくが殺してばらばらに森に捨てた、父の死に顔そっくりになってくる。
「エス」 土曜美術社出版販売 2011年
ここには二件の家が登場する。森の家と街の家。森の家は「ぼく」にとって心の隠れ家であり、親友であり、自分自身でもある。だが、自身の中に埋没し、世界を遮断する危険に気づいたのか、或る日、彼は出て行く。家の中、すなわち彼の心に残されたのは、ビール、Tシャツ、蛇の抜け殻、亡き愛犬の鎖、使えなくなったインク壺。
かつては愛したものがたちまち失われたものになる。ペンも捨て、文筆家になる夢も捨ててしまったのだろうか。蔦だけが繁茂して、家を世間の目から隠し続けている。
「ぼく」は社会人として、街に家を建てた。新しい犬に亡き愛犬の名前もつけた。だが「その家はぼくの顔には似ていない」。森の家は彼そのものだったが、街の家は、社会人としてのペルソナ、すなわち仮面に合わせて作られていたからだ。子どもっぽい生活を捨て、大人に成長したつもりだったが、憎悪していた父親と同じ生き方をしていることに愕然とする。
そして、父親殺しが行われたことが衝撃的に語られる。「ぼく」が若者でなかったことも明らかになる。成長物語かと思えば父親殺し。少年かと思えば、自ら大きな息子を持っていてもおかしくない中年。
読者はぞっとさせられ、同時に強く惹きつけられる。父親への憎悪、父親のようになることすなわち成長の拒否、それは普遍的な心理であり、共感を呼ぶテーマであるからだ。そして、読者を呪縛し、中毒にして離さないのは、独特の文体とこの世界そのもの。死んだ父親の顔や翼のない鳥は、アレゴリーというより、昨晩見た悪夢であり、詩行たちは、目覚めた後も繁茂する、まさに一面の蔦なのである。
読み続ければ、大きな快楽に浸れるだろう。だが、本から目を上げれば、自分そっくりの顔をした家の中で、蔦が扉をふさいでしまっていることに気づくことだろう。