日めくり詩歌 自由詩 岡野絵里子

光でつながっている
―追悼、畑田恵利子さん―
吉野令子

朝の 眩しい稜線の向こうから
美しく光る帽子を目深に被って
たおやかな足取りで まれびとのように
泊りがけでやってくる
あなたと私たちは
  いつも会うのが楽しみでした
 そう あなたと私たちは大切な仲間でした
懐かしい人
 
今 私は祈る人のように 柔らかく目を瞑り
祈る時のように おもいをこめて
  声を深くして
 あなたの名前を 呼ぶ
懐かしい人
 
そして 記憶の中のか細い声に 岸の草むらの
あなたは 振り返り 光を浴びた表情になる
きりりと結ばれた口許に
たちまち可憐な微笑が湛えられる
 
懐かしい人
あなたよ

私たちは
  それぞれ庭で育んだ一輪の花を持ち寄り
 あなたと私たちが
理想を求めて尽きることなく言葉を交わした
泉という名前の駅の 次駅で下車した
林の中の あの建物の四階の あの部屋の
あの楕円形の机の周りで 輪になっている
あなたは 私たちに向かって力の限り励ましの
手を振ってくださっていますね

第二次 ERA 4月号 2011年
東京大学大学院総合文化研究科 川中子研究室発行


 思い出す時、風景は光にあふれる

 畑田恵利子さんは2010年10月31日逝去、作者と同じ詩誌ERAの同人だった。「泉という名前の駅」とは、東京都内、新宿と八王子を結ぶ京王線の神泉駅。「あの建物」とは、東京大学駒場キャンパス内の18号館。ここでERA誌の作品合評会が行われていて、詩にあるとおり、朝日で眩しい山の向こう側、金沢市から、畑田さんは来てくれていた。被っていたのは、光るはずもない布の帽子だったけれど、注がれる陽光も、その下の笑顔も、もう失われてしまった光景だから、今、思い出の中で光り輝く。

 この詩の優しさ、わかりやすさが読む者の胸を激しく打つ。作者はふだん、高度なメタファーを駆使した難解な現代詩の書き手であって、その精妙な内的言語が自在に流露し、重層的なイメージを構築する世界は日常感覚を凌駕しており、現代詩の手練れでも、容易には読みこなせない。抽象絵画のように、ただ鑑賞するのみと言った人もいたほどだ。なのに、この心優しい詩である。

 作者は死者に祈ることはしない。「祈る時のように おもいをこめて / 声を深くして」友人の名前を呼ぶ。既存の宗教の言葉で祈っては、友人が本当に遠くへ行ってしまうではないか。彼女を此岸に呼び返すには、思いを込めて呼ばなければならない、と。

 ほら、振り返った。光を浴びた表情で。同人たちはいつもの部屋で、「それぞれ庭で育んだ一輪の花」すなわち書き上げた作品を持って集まっている。「理想を求めて」が古きよき文学の時代を彷彿させる。夢や理想など、現在では死語に近いもの。時間がそれら美しいものを持ち去ってしまった。だが、死者が光を放ちながら、彼岸から帰ってくる時、美しいものが人の中で甦る。友人を思い出すとは、そういうことなのだと思う。そしてその時、私たちは光でつながっている。

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