日めくり詩歌 自由詩 渡辺玄英

緑       豊原清明

僕はしぜんが欲しかった
やがて革命が起こるだろう
発狂をしないように
小さな子供を
草に転ばせる
冷たい地獄のこの暑さよ
 
僕は色々な旗を持っています


「みどり」は色の中で唯一、日本の女性の名前に使われる。犬猫に「しろ」や「くろ」と名付ける場合はあるものの、「みどり」は人間専用の名前の色と言っていい。

 理由は想像するしかないが、「緑」がもつ呪力、つまり「緑」が担っているイメージには、子に与うるに相応しいものとの共通認識があるからに違いない。現在の私たちは、「緑」に自然、生命力、クリーン、エコロジーといった健康的で清潔なイメージを一般的に思い浮かべるのではないだろうか。日本人にとって「緑」は肯定的性格を持つ色なのだ。

 さて、豊原清明の詩「緑」にはこの規範をやすやすと揺るがせてしまう衝撃があった。短い詩なので一行ずつ読んでみよう。

 まず冒頭から「僕はしぜんが欲しかった」と、自然からの疎外感が表明される。自然が欲しいのは、つまり「僕」は非自然・反自然だからだ。その疎外のために「革命」が予感され、「発狂」しそうなのだろう、とひとまず読み解ける。

 すごいのは次の部分。普通「発狂をしないように/小さな子供を」と書かれていれば、その後に何を予想するだろうか。ここには犯罪的な匂いがあるから、「発狂をしないように/小さな子供の/首をしめる」とか「「発狂をしないように/小さな子供を/殴りつける」とか。しかし、本作は「草に転ばせる」。この爆発しかけたフラストレーションをぎりぎり抑制したような、犯罪一歩手前で辛うじて狂気を押さえこんでいるような恐ろしさ。この沸騰しそうな心情を「冷たい地獄のこの暑さよ」というのだ。そして、ラストの「色々な旗」とは、「僕」の内部に存在する様々なフラストレーションや狂気めいた感情のことだろうか。

 読み終えたとき、タイトルの「緑」が、反自然的な、何か異常な緑色に感じられる。私たちの通常の「緑」のイメージを逸脱していく、異様で強い詩の力を感じずにはおれない。

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