日めくり詩歌 自由詩 渡辺玄英(2011/7/8)

消息  岩木誠一郎

信号所を過ぎたあたりから
しだいに森の影が濃くなって
列車は速度を上げながら
少しずつゆうぐれの方へ傾いてゆく
空席の目立つ車内には
かわされる会話もなくて
車内放送だけがときおり
過去からの声のように流れてくる
 
夏の朝
小さな町で投函された絵葉書が
すべてのはじまりだった
という書き出しのミステリーを
仄暗い灯りの下で読みながら
人の名と
土地の名が
遠くで交差することの
手がかりをみつけようとしている
バスも通っていないというその町に
男はいつかたどり着くだろう
失いたくないものばかり
背負いすぎたという思いとともに
 
外はいつしかとっぷり暮れて
知らない顔が窓に映っている
西に向かう旅の終わり近く
夜の平野をひた走り
捜す者も
捜される者も消えてゆく地点で
街は美しく発光している
 
 

(詩集『雲の流れる速度で』(思潮社)より)


 今年(2011年)三月に刊行された詩集『流れる雲の速さで』からの一篇。岩木誠一郎の作品は、穏やかな声で日常の出来事から淡々と語り始めることが多い。この詩集でもそのコトバの調子は一貫している。しかし、日常を語る言葉がそのまま現実をなぞっていくのではない。読み進むうちに、読者はいつしか現実の深部に、あるいは陽炎のように揺らぐ現実の向こう側に迷い込んでいく。

 わたしたちの世界には影のように寄り添うもうひとつの世界があると、作者は予感しているのだろう。事実、わたしたちはしばしばそんな影の世界に迷い込んでしまうことがある。それはすぐに忘れられてしまう明け方の夢のようだけれど、だれしもそうした経験を持っているはずなのだ。

 この詩「消息」では、一連目に列車で次第に日常からずれていく様子が語られている。そして二連目では、「小さな町で投函された絵葉書が/すべてのはじまりだった/という書き出しのミステリー」を、列車の中の作中主体が読んでいる設定が語られる。絵葉書が世界を四角に切り取った世界内の世界と考えるならば、つまり、ここでは【現実】と【ミステリー小説】と【絵葉書】が重なり合って、しかもそれぞれが曖昧に侵食していく奇妙な感覚を喚起する構造になっている。

 だから最後の三連目は、これが現実なのかミステリーの中なのかがよく分からない不明瞭な連になっている。不明瞭になっている、と思ってもいいし、わたしたちの現実には常に影の世界が寄り添っている、と思ってもいいだろう。人の生とはそもそも明確に輪郭を結ぶものではないのだ。わたしたちの生は、空間的にも時間的にも記憶や意識の面でもかなり曖昧で不安定なものなのではないか。この作品だけでなく詩集では、現実から微妙にずれて二重写しになっていく世界を描くことで、わたしたちの生きていく中での不安・倦怠・孤独・寂寥を見事に浮かび上がらせている。

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