日めくり詩歌 短歌 斎藤寛(2011/9/15)

削ぎ落としてなほ温みあるブルーナの絵に励まされて下の句を消す    野村 茂


読売歌壇(2010年1月18日)に掲載された作品。新聞歌壇の読者の何割かは自らも歌を詠む者だろう。そうした読者は、「そう、そう、そういうことってあるよ」と共感したであろう一首だ。ブルーナは絵本作家。あのウサギの絵、ぐらいしか僕は思い出さないのだが、東方の国で歌詠む者を励ましていたとは、ブルーナ先生もビックリ!だろう。

野村さんは、下の句を消して俳句(あるいは川柳?)の作品にしたのだろうか。それとも上の句から練り直して別様の歌へ作り変えたのだろうか。かつて角川「短歌」1985年1月号に掲載された鼎談「これからの詩性と抒情歌人」(篠弘、笠原伸夫、秦恒平)で、秦恒平さんが、短歌総合誌のトップに載るような有名歌人の歌にも、下の句の七七は切ってしまった方がいいような歌が多すぎる、と苦言を呈されていたことなども思い出した。短歌のみならず俳句も詠まれる藤原龍一郎さんは、「俳句を作っていると、もう少し言いたい、という気持ちになる。七七の14文字がある分だけ過剰な思いを伝えることができる短歌の方に、最終的には惹かれる」と言われ(「NHK俳句」2009年10月18日)、俳句は詠まないと言われる小池光さんは、「短歌と俳句は全く違うもので、短歌の五七五は絶対に俳句であってはいけないのだが、ともすると下手くそな俳句になりがちだ。俳句にせず下へ流してゆくことが短歌を作るうえでは大事なので、俳句は私にとってこわいものだ」と言われていた(同前2011年6月19日)。まことに短歌と俳句は微妙な関係にある兄弟らしい。そんなことへも思いが及ぶ一首である。

新聞歌壇には、時に、こうした“歌についての歌”が載ることがある。《歌集読み体言止めに倦みしころ真夜のベランダを転がるバケツ》(東 洋、朝日歌壇2009年4月6日)などという一首も印象に残っている。体言止めに倦んだことを詠まれた体言止めの歌だ。

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