日めくり詩歌 自由詩 岡野絵里子(2011/10/13)

午後の一部    山本楡美子

さわさわとやってきた秋にのって
ニセアカシアの道を歩いて行きなさい
仕立屋さんが大きすぎる
服を直してくれる
検診センターの医師は
(来年は首ですからね
(来ても
(いませんよ
と帰りぎわに言う
胸に丈高い草がなびいて
子どもの指先が
見え隠れする
母親があなたと同じ横顔で
古い火の光る道を歩いて行く
鞄の男が
こわばった顔で
通り過ぎてゆく
 
反対の角から
ヴァンが
曲ってくる
パン屋さんが白衣を放り投げて
十月の粉を払い落す
腕が
ゴッホの「種まく人」を思い出させて
あなたは
紺色の服に染まる
 
ニセアカシアの道は公園へつづく
森に着けば
前夜の匂いがするだろう
ニセアカシアにこそ上着を掛けてやりなさい
誰もいなくなった後も
あなたの唇のように
震えている

「森へ行く道」 書肆山田 2009年


街路樹が並ぶ都会の秋。

人との関係もうつろいやすい季節なのだろうか。検診センターの医師が、来年には病院を去ると言う。違う医療施設に移るのだろう。ユーモアを含んでさらりとした伝え方が都会風だ。寂しさに強くならないと、都会では生きていけない。

だが、ニセアカシアの並木道がまっすぐに伸びていく。暑かった夏を通り抜けて、私たちは今、生まれ変わったように新しい気持になっている。だから、新しい上着がいるのだ。

上着にマフラー、コートと厚着をする人間と反対に、樹たちはこれから葉を落としていく。ニセアカシアも落葉樹。

樹たちが導いてくれる公園の、その奥に、詩人だけに見える森がある。日常を、静かな光の宿る聖域サンクチュアリに変えてしまう詩人が、光をこぼしながら、暗い生命のざわめきに近づこうとしているところだ。もういないはずの母親がふっと寄り添うように現れて、また異次元へとそれていく。「古い火の光る道」を歩いて、死者もどこかに辿り着こうとしているのだろう。

公園では、何かの催し物があったのだろうか、人が賑わった気配が濃く残っている。秋風に震える枝々が、言葉を出せずに震えている人のように愛おしい。暖かい上着を掛けて、抱きしめてやりたい気持になる。「あなた」は作者でもあり、詩を読んでいるあなたでもある。皆、風の中で震えるたった一本の樹だった時があるのだ。

樹を見上げる詩人を浸す透き通った寂しさ、明るさ。新しい季節を迎え、ささやかな生を喜ぶ私たちは、今、途方もなく大きなものの「午後の一部」だ。

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