日めくり詩歌 短歌 斎藤寛(2011/11/04)

けふより街に死者なし ゆふぞらに錆びたる鉄塔一基立ちをり    菊池孝彦

『声霜』(六花書林刊、2010年)より。初句「けふより」の4音がなんとも不気味である。「けふより」先の、未来永劫の時間という射程をそれははらんでしまっている。音読すると、初句と2句との間におのずと小休止が生ずるが、その小休止に永遠の時間が含まれているのだ。この先、永遠に死者というものはない。すなわち、なべての者は死に絶えてしまった・・・。となれば、この上の句は、ひとつの「街」にはとどまらない荒涼とした世界の景を引き連れてくるだろう。その無時間性の世界にも宇宙史の時間だけは流れていて、「ゆふぞら」に死の象徴のようにして鉄塔が立っている。その世界を眼前に見て、このように詠んでいるのは、いったい誰なのか。「あっは」とか「ぷふい」とか言いながら、この宇宙へささやかな一撃を食らわせようとする埴谷雄高の『死霊』の登場人物たちの語り口に、読者の思いは及んだりしそうである。

菊池孝彦さんのお住まいは仙台、と聞けば、あるいは福島第一原発の事故が示唆されている一首なのだろうか、とも思いたくなるが、この歌集が刊行されたのは昨年11月、収録されている歌はおおよそ2003年までの作品だという。だが、今この一首を読むと、どうしてもあの事故のことを思ってしまう、という読者も多いだろう。

先日、この歌集を含めて3冊の歌集の合同出版記念会(あとの2冊は、佐々木通代『蜜蜂の箱』、川井怜子『メチレンブルーの羊』)が東京で開催された。多彩な方々から、単なる褒め言葉だけで終らないコメントが多々あって、有意義な記念会だった。特に菊池さんのこの歌集については、あまり「観念」や「自己意識」にこもらず、もっと世界にひらかれた詠みようの歌を、という注文を出された方が多かったのだが、僕のようなへそまがり者は、菊池さんがそうした注文に応ずることなく、いよいよ「あっは」「ぷふい」の方へと突き進んでほしい、とひそかに願っているのである。

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