日めくり詩歌 自由詩 渡辺玄英 (2011/12/14)

野の舟 清水昶

うつぶせに眠っている弟よ
きみのふかい海の上では
唄のように
野の舟はながれているか
おれの好きなやさしい詩人の
喀血の背後でひらめいた
手斧のような声の一撃
それはどんな素晴らしい恐怖で海を染めたか
うつぶせに眠っている弟よ
きみが抱え込んでいるふるさとでは
まだ塩からい男たちの
若い櫂の何本が
日々の風雨を打ちすえている?
トマト色したゆうひを吸って
どんな娘たちが育っているか
でもきみは
おれみたいに目覚めないことを祈っているよ
おれは
上半身をねじって
まっすぐ進んでゆくのが正しい姿勢だと思っているが
どうもちかごろ
舌が紙のようにぺらぺらめくれあがったり
少しの風で
意味もなく頭が揺れたりして
もちろん年齢もわからなくなっている
だからときどき
最後の酒をのみほしたりすると
はげしい渇きにあおられて
野の舟の上でただひとり
だれもみたことのない夢へ
虚無のように
しっかりと
居座ってみたりするのさ

 詩集『野の舟』の刊行は1974年。新左翼運動は、というより左翼幻想はこの時期、決定的な終局を迎えていたのではないだろうか。当時を直接的に経験していない者には想像するばかりだが、1972年の連合赤軍事件などは強烈な終末光景だっただろう。

 本作の第一行「うつぶせに眠っている弟よ」は、やすらぎのようでもありながら、どこか〈死〉のイメージも漂わせている。「野の舟」という素朴な幻想に身をゆだねながら、しかし、挫折と徒労の果てに深い眠りについている弟。作者の分身と見てもいいだろうし、同時代の若者たちの姿と見てもいいだろう。

 特に注目するのは「おれの好きなやさしい詩人の/喀血の背後でひらめいた/手斧のような声の一撃/それはどんな素晴らしい恐怖で海を染めたか」の部分。詩人の声の威力が海を染めた、つまり言葉が世界を染めることができた、というようなことが書かれているわけだが、ここの部分だけが過去形になっている。理想を信じることができた時代はもう過ぎ去ってしまっていたのだ。

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