日めくり詩歌 俳句 高山れおな (2012/01/18)

五十七番 めしの汚れ

焦したる目刺にめしの汚れけり 森川暁水

右勝

焼目刺しらたまのいひよごれつつ 下村槐太

年末に出た岸本尚毅の『生き方としての俳句 句集鑑賞入門』(三省堂)は、昭和前中期の「ホトトギス」作家を句集単位で鑑賞した本で、大層面白いのですぐに読み終わらないようにちびりちびりと読んだ。「ホトトギス」作家といっても、虚子から自立して大家となったメインストリームの作者ではなく、地味なあまり日のあたらない人たちを主に取り上げている。森川暁水などはそうしたマイナーポエトの中ではむしろ名前が残っている方だろうが、暁水の『黴』を紹介した中に左句があって、おおそっくりだと思って右句を思い出したのである。

暁水の句は、句集の昭和五年(一九三〇)の項に出ている。一方、槐太の句は昭和二十二年(一九四七)の作である。句意はともども明瞭。情景としてはほぼ同じであるが、両句を比べると右勝は動かないように思う。といって左が悪い句だというのではない。目刺の句は数あれどご飯の汚れに着眼した点がまずすぐれているし、客観描写の句として表現に過不足がない。前掲書で岸本は、

焦げた目刺によごれたご飯が美味しそうです。

と述べているが、食べ物の句は美味しそうに書けていればとりあえず成功なのである。ただ、槐太の句は同様に美味しそうな上に、食べることの陶酔までが書きとめられていて、これは暁水の句より一段深い感覚に届いているとせねばならない。

槐太句の表現の背景には、敗戦直後の食料事情が与って大きいと思われ、「しらたまの飯」という、装飾的でありながら強い実感のこもったフレーズはなればこそ出てきたものか。「飯」を普通に「めし」と読ませず「いひ」とルビを振ったあたりの細心さも素晴らしい。上五と中七の間の断層の深さは、そのまま食べ物を前にしての作者の溜息の深さであろう。「よごれつつ」の言いさしからは、ご飯を、目刺を、ひと箸ひと箸口に運ぶことの悦ばしさが伝わってくる。こうして、左句が静止画像なら、右句は動画というくらいの差が生じているのである。

それはそれとして、『黴』を通読すると面白いのは、暁水が目刺をしばしば食べていたらしいことである。

目刺焼く火種もらひにやりにけり
目刺焼く妻に不憫をかけにけり
奉公のしぶき目刺を食ひにけり

は、左句と同じ時の作だが、他にも、「まどゐ」の前書のもとで以下の五句が見える。

目刺焼いて友らを酔はす座に妻も
目刺うまし今宵の友ら部屋もせに
目刺焼く火がとびて酒熱かりき
目刺うまし友らよりまづわが酔ひぬ
泊むるなる友に目刺の酒尽きず

しかし、食の作品としてよりすぐれているのは、これら目刺の句より、昭和十年の「冱てめし」の一連かもしれない。

冱てめしに窓ぬるる雨急なりき
冱てめしもまたおもしろく食ひにけり
冱てめしにくちびるつきて血を見たり
冱てめしに夕サイレンのまたさびし

一方、槐太の目刺の句、めしの句をさらに探ると。

忽ちに尾がしら焦ぐる目刺かな
目刺やいてそのあとの火気絶えてある
ぬくめしをたべてわするる寝冷かな

などがすぐ拾える。考えてみれば、暁水と槐太は年齢もそう違わず、同じ時代の大阪に生きた貧しい庶民であり、生活環境は似ていて当然なのだ。それでいて暁水の平淡な妙好人的な世界と、槐太の圭角に富んだ近代的自我の世界とに、作品世界が大きく分かれているわけだから面白い。高濱虚子は、『黴』に懇篤な序文を寄せて、次のように述べている。

彼は一茶と一脈相通じ、自己の境遇を隠さずに吟詠してをるが、併し一茶は貧を憤り権力に反抗する呪詛の傾向が多分にあつたが、暁水君にあつては常に諦めの心持で静かに自己の境遇を反省し、或は蔑みつつも之を笑つて居る、といふ相違がある。

この文章の一茶のところに槐太を代入しても成り立つなあ、とそんなふうにも思った次第である。

季語 左右とも=目刺(春)

作者紹介

  • 森川暁水(もりかわ・ぎょうすい)

一九〇一年生、七六年没。高濱虚子に師事。掲句は、句集『黴』(暁水句集「黴」刊行会 一九三七年)所収。但し、引用は『現代俳句大系 第二巻』(角川書店 一九七二年)より。

  • 下村槐太(しもむら・かいた)

一九一〇年生、六六年没。岡本松浜に師事。句集に『光背』『天涯』。掲句は句集未収録で、引用は『下村槐太全句集』(下村槐太旧門下生有志の会 一九七七年)より。

タグ: , , ,

      

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress