日めくり詩歌 俳句 高山れおな (2012/02/13)

六十三番 カレー

左持

カヌー干すカレーは次の日もうまい 山本純子

サイレンとカレーの混ざり合ふ朧 山下つばさ

まず左句の季語を確認しておくと、手許の歳時記数種を見る限り、「カヌー」は未だ季語として登録されていないようだ。しかし、「船遊び」「ボート」「ヨット」「サーフィン」「スカル」等が夏の季語としてある以上、カヌーもそれに準じて夏の季語ということでよいだろう。また、掲句は出典の句集では「キャンプ村」と題された一連に入っており、句集での扱いも夏になっている。

左句については、句集に寄せられた解説文の中で坪内稔典が次のように述べる。

カヌーとカレーが響き合って息の交響とも言うべき快さを漂わせている。その快さの中でカレーは一層うまい。
 これはまさに息の575だ。

情景としては、カヌー遊びを終え、地上に引き上げたカヌーを逆さにして干す。それから、前日の作り置きのカレーを食べたという、キャンプでのひとこまなのだろう。

右句については、出典である『俳コレ』に載る島田牙城による作家小論に、次のようにある。

  サイレンとカレーの混ざり合ふ朧
といふ句に出會つた時など、カレーを食つてゐる時に何らかのサイレンが聞こえてきた茫々たる都會の晩春を想起すればそれだけで充分可笑しいのにも關はらず、僕はいつしか「サイレントカレー」といふ新しいカレーの味を感じてしまつてゐた。黙々と食はねば叱られてしまひさうなカレー。迂闊だつた。

「サイレントカレー」、面白いですね。しかし、右句のトーンはそもそも内省的というか、カレーとサイレンをだしにして心理的な陰翳を呈示しているところが眼目だから、「サイレントカレー」で正解なのかも知れない。左句が描いているのが大勢でわいわいがやがや食べる昼飯のカレーなら、右句のカレーは勤め帰りにC&Cとかで独りでぼそぼそ食べる夕食のカレーが似合う気がするのだが、如何だろうか。

右句が心理の句であるのに対して、「次の日もうまい」とのたまう左句は真理の句。賑やかに楽しくやっている時も、孤独にうらぶれている時もあなたの傍に――それが国民食とも呼ばれるカレーの国民食たる所以であろう。甘口辛口もとよりお好みによるべく持。

季語 左=カヌー(夏)/右=朧(春)

作者紹介

  • 山本純子(やまもと・じゅんこ)

一九五七年生まれ。詩人。「船団」所属。掲句は、第一句集『カヌー干す』(ふらんす堂 二〇〇九年)所収。

  • 山下つばさ(やました・つばさ)

一九七七年生まれ。「街」「海程」所属。掲句は、『俳コレ』(邑書林 二〇一一年)所収の「森を飲む」百句より。

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