日めくり詩歌  自由詩  渡辺めぐみ(2012/06/14)

夜の母   斎藤恵子


台所の流しに母がいた
よわい蛍光灯の下でお釜を洗っている
こびりついたご飯つぶがふやけ
しだいに形を失っていく
 
戸棚の隅から
ごごっと物音
ふりむくと
黒い毛に全身おおわれた猫ほどの
 
大ねずみだった
母は驚きもせず
 家のものを食べてしまわれるだけの害よ
 ふくろに入れて叩いたらいいよ
いつのまにかジュートのふくろを手にし
わたしに手渡す
ジュートが掌に毛羽立ちささくれだつ
 
わたしは嫌と言うことはできず
息をひそめ物音をたてないように
 エイッ
 
ふくろを被せた
ふくろがもごもご動く
観念したか生きものは鳴かない
 
 ふくろに入れたら叩いて叩いて
 スプレーの薬をかけて殺しなさい
 こえなったら早く死なせなさい
 
母はしずかに言った
わたしは叩いた
やわらかな感触を感じながら叩きつづけた
辺りが濡れるほど噴霧した
 
 保冷剤を入れて
 ゴミの収集日に出しなさい
 
母はこともなげに言う
ふくろはもごもご動く
叩くわたしはなぜだか涙が出てきて
止まらなくなり
しゃくりあげて嗚咽した
 
しんとしている
ふくろは動かない
ひとの形に大きく平たくなっている
 
母がいない

詩集「海と夜祭」2011年刊より

ドラマなどを評するときによく使われる「サスペンス」にはもともと宙吊りといった意味がある。それから転じて、不安ではらはらする状況のことを指すようになった。本作は、母親と私の対話で進行しながら、読者をなんとも割り切れない気分、中途半端な気持ち悪さに導いていく。そこにサスペンスを感じずにはおれない。

ところで対話と書いたが、正確には対話ではなく、母からの一方的な「言いつけ」であり支配なのだ。つまり、ここではねずみ殺しのドラマと見せかけて、実は母の支配との葛藤こそがサスペンスの正体だと言えるだろう。

その仕掛けは冒頭第一連から始まっている。「よわい蛍光灯の下でお釜を洗っている」とは、いかにも時代掛かった表現で、すでにこの段階でリアルな物語ではなく、過去に時間軸が伸びている幻想感が導入されている。つぎの「こびりついたご飯つぶがふやけ/しだいに形を失っていく」はこの作品全体の雰囲気を象徴する重要な表現になっている。母の支配下、私はねずみの入った袋を叩き続け、作品後半、次第に「ふくろ」は「もごもご動く」状態から「ひとの形に大きく平たくなって」いくわけだが、その不気味な予兆として「ご飯つぶがふやけ/しだいに形を失っていく」ことが語られているのだ。

さて、厳格な母の支配の下で、「わたし」は「しゃくりあげ嗚咽」しながら、いったい何を叩き続けているのか。何を殺し続けているのか。読者はそのことを深く考えざるを得なくなる。人の心に巣くう支配するものとの葛藤を見事に描きだしている「サスペンス詩」と言えるだろう。

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