日めくり詩歌 短歌 さいかち真 (2012/08/09)

からっぽのひつぎ戦後を浮游せり怒気柩底きゅうていに秘匿しながら

冥界へも往ったり来たりそりゃあなた自由自在かつてきままかたでして、ハイ

石田比呂志歌集『流塵集』(二〇〇八年八月一七日刊)

日本の戦後詩の中で、お棺の詩というと思い浮かぶのは、田村隆一の「立棺」だ。あれにはどんな詩も及ばないだろうと、私は思う。だから、それは別格として置いておいて、石田の歌を見ることにしよう。ここで柩に入っているのは、特攻隊の若者たちの霊魂だ。何で空っぽなのかって、それは、少し考えてみればわかる。骨も残さないで逝ってしまったのだ、彼らは。すべてをお国のために捧げ尽くして……。見えない特攻隊兵士のひつぎは、虚空に遍満し、その辺を飛び回っているかもしれない……。ううむ、怖くて外を歩けないじゃん。

二首めは、おそらく斎藤史の有名な歌のパロディである。こちらは、どこか落語風ですらある。カルト教団の指導者などが、冥界と交信をして、いろいろと予言したり、教え導いたりすることができるのは、石田の言うように、それはそれは「自由自在」な境地に到達していらっしゃるからだろう。どうせ冥界と交信するなら、埴谷の小説『死霊』程度の節度があってほしいものだが、昨今のようにいろいろなゲームの中毒になって来ると、なかなかそれは難しいものらしい。

点滴の落つる雫の感覚と鼓動と時に合うことのあり
ほろ酔いの父は炬燵で唄ってた迎春花インチユウホウが咲いたなら
まっ白い御飯に赤い梅干を埋めて昭和一桁ひとけた日の丸弁当

一首め。病気で入院して、こういう諧謔をたしなみとして持てる人を私は尊敬する。

戦争の先行きを知らされないまま、戦争中に中国、満州に移住した人は、大勢いたのである。作者はそれを憤っている。短歌は、そういったことを最後まで言い続ける器でもある。ゆめ忘れめや、ということである。作者は昭和五年生まれ。私の知っている昭和一桁は、みっともないことができない。最後まで一本筋を通さないと気が済まないので、生き方は不器用だ。だから、時流に乗っかって動くことを忌むのである。その結果として無名である、というような場合は、死後の顕彰が必要である。石田比呂志もそういう人かもしれない。

私ごとだが、昭和八年生まれの母をこの六月に亡くした。自ら律する、というところで、最後まで私など頭の上がらない母であった。

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