黒い十人の女(二)
向日葵の昏れて玩具の駅がある 三橋鷹女
見慣れた日常の風景がふいに作りものめいて見えるときがある。光線の具合でそう見えるのか、心理的な要因からなのか。今まで現実のものとして見ていた街並みが、白いプラスチック製の模型のように見えたり、ベニヤ板の書き割りのように見えたり。
現実が剥落してゆく感覚とでも言おうか、世界に自分一人だけが取り残されてしまったような、あるいはたった一人だけ弾き出されてしまったような、そんな感覚を覚えたことはないだろうか。
この句は『魚の鰭』(昭和16年刊)所収、昭和14年―15年の間の作品であるが、現代の新興都市にありそうな無機質な駅をも連想させる、古さをまったく感じさせない句である。
汽車が発着し、人が行き交う駅。誰もが何かの目的を持ってそこに居る。
鷹女は人を待っていたのか。それともどこかへ行こうとしていたのか。
線路脇には向日葵が咲いている。日が落ちて向日葵が翳ると、ふいに見慣れた駅が作りものの玩具の駅に見えた。駅に残る人々の熱気や体臭、騒音、話声、それらが消えて、玩具の駅に鷹女はぽつんと立っている。
向日葵と駅のモチーフで鷹女は次のような句も作っている。
向日葵の駅々は車輪灼けて過ぐ
向日葵陽に汽罐車貨車を牽き来る
ひまはり黄に毛虫のごとく汽車停る
向日葵の昏れて玩具の駅がある 『魚の鰭』
この一塊の作品を読むと、鷹女はこの駅で半日か、少なくとも数時間はじっと過ごしていたことになる。汽車の車輪が灼けるほどの強い日射しの真昼から,汽車が黒いシルエットの毛虫のように見える夕刻、そして向日葵が昏れて見えなくなってしまう日没まで。そんなにも長い時間、鷹女は駅で何をしていたのだろう。
鷹女の特質について、高柳重信は次のように述べている。
鷹女の俳句の魅力の一つは,僕のような男の眼から眺めたとき、まさに手のつけようのない女の情念の深い深い常闇としか思えないものが、おどろくべき執念深さを発揮して遂に辿りついたところ、いわば静まりかえった恐ろしどころの光景にあった。(「三橋鷹女覚書」部分。昭和51・4『三橋鷹女全句集』)
重信の言う常闇とは何か。その闇はどこからくるものなのか。
寂しさよ昏れて田螺の吐く水泡 『魚の鰭』
日本の我はをみなや明治節 『向日葵』
葭切や未来永劫ここは沼 『白骨』
老いざまや万朶の露に囁かれ 『白骨』
すつぱだかのめんどりとなり凍て吊るされ 『向日葵』
言いようのない淋しさ、明治生まれの女の良妻賢母という鋳型、計り知れない性の深淵、老いへの恐怖、あるいは激しすぎる自分自身から、その闇はやってくるのか。
鷹女は人を待つでもなく、どこかへ行くという目的もなく、半日駅で佇んでいたのかもしれない。昏れてゆく向日葵をじっと瞶つめて。
ついに汽車に乗らなかった鷹女は、何ごともなかったかのように日常へ戻り、俳句の中へ逃亡したのだ。
さやうなら霧の彼方も深き霧 『白骨』
「本当は、私が捕まるのを楽しみにしてるんでしょ?」
「あなたの姿、一度見たわ。そのうち、また会うかもしれない。見つけて。うふふっ、じゃあ切るね」
「逆探知されたら困る。うふっ、もう切る。切るよ」
鼻にかかった声がワイドショーから聞こえてきた。
「危ない.危ない」という言葉が後に流行るほど人々の関心を集めた「和歌山ホステス殺人事件」の指名手配犯、福田和子の肉声テープだった。
1982年、福田和子は元同僚ホステスAさんを殺害し、夫に手伝わせて死体を山中に埋めた。Aさんの家財道具一式を盗み、男と密会するためのマンションの部屋に盗んだ家具をそっくり運ぶという不可解な行動と、美容整形で顔を変え、15年に及ぶ逃亡生活を続けていることが話題となった。
指名手配ポスターには7つの和子の顔写真が印刷されていた。地味なおばさん顔から婀娜っぽい女の顔まで、すべて別人のように見えた。和子は整形するたびに生き生きとした女の顔を手に入れている。
高井はつ美、小野寺忍、中村れい子、藤原千里……和子は20以上の偽名を使い分け、ホステスやラブホテルの清掃員となって、名古屋…京都…大阪……新潟…青森……千葉…埼玉……和歌山…福井……全国を転々とした。
押し寄せる不安と孤独を紛らわせるかのように、和子は複数の男と関係を持ちながら逃走し続けていた。
金沢のスナックでは客の一人である和菓子屋の主人と懇意になり、その後妻(内縁関係)に納まっていた時期もある。人当たりもよく働き者の和子は店を繁盛させ、大胆にも我が子を親戚の子と偽って店に呼び寄せて働かせていた。
入籍を拒み続け、不信に思った親戚に正体がバレて、逮捕に駆け付けた警察官の行動を寸前に察知し、危機一髪のところで、和子は葬式会場から自転車に乗ってそのまま逃走したというエピソードもある。
何が何でも逃げ切ってみせるという、この逃走のエネルギーには圧倒される。
映画『kamome/カモメ』(監督・中村幻児、主演・清水ひとみ)は、ドキュメンタリータッチで福田和子の半生を描いている。
「時効は解脱なんよ。15年過ぎれば解脱できる。解き放たれるんよ」
という印象的なセリフがある。
まったく身勝手で都合のよい考えではあるが、逃亡し続けることで和子はなりたい自分に近付いていったのではないか。
虚栄心が強く僻みっぽくて嫉妬深い地味な中年女が、逃亡を続けるうちに気さくで朗らかな、まるで別人の華やかな女へと変貌した。
俳句の中へ逃亡した鷹女は、なりたい自分になり、存分に自分を解き放つことができたのだろうか。
逃亡し続けた和子と、現実には逃亡しなかった鷹女が、日の昏れた駅のホームの両端に立っている。
ひまはりかわれかひまはりかわれか灼く 『羊歯地獄』
まったく対極にいる二人だが、身を灼くほどの過剰なエネルギーをどちらも持っていたのではないか。
〈まさにに手のつけようのない女の情念の深い深い常闇としか思えないもの〉
を。
墜ちてゆく 炎ゆる夕日を股挟み 『羊歯地獄』
過剰なエネルギーを制御できずに、自分の思うままに生きて破滅の道をひた走った和子は、時効成立21日前の1997年7月、福井市内の行き付けのおでん屋を出たところで逮捕された。
公訴時効成立11時間前に福田和子は殺人罪で起訴され、2003年、最高裁で無期懲役が確定した。その僅か2年後、福田和子は脳梗塞にて服役中の和歌山刑務所で死去した。享年58だった。
鷹女は良妻賢母の鋳型に納まる事を良しとし、それでも尚、あふれてくる過剰なエネルギーを一心に俳句に投じた。
『向日葵』『魚の鰭』『白骨』『羊歯地獄』『橅』と、一冊ごとに顔を変え、鮮やかに変貌し、
くるるるるるる音無谷の羊歯のうぶごゑ 『橅』
鷹女はたった一人でだれも行ったことのない駅に降り立ったのだ。
■参考文献
- 『現代俳句の世界11 橋本多佳子 三橋鷹女』 朝日文庫
- 『高柳重信読本』 角川学芸出版
- 『女性俳句の世界』第2巻 角川学芸出版
- 佐木隆三『悪女の涙』 新潮社
- 大下英治『福田和子 整形逃亡5459日』 廣済堂出版
- 松田美智子『福田和子はなぜ男を魅了するのか』 幻冬舎
- 福田和子『涙の谷』