日めくり詩歌 俳句 林雅樹(2012/10/12)

秋風や任地厭がる友の發つ   池田義朗

高浜虚子『進むべき俳句の道』(『定本高浜虚子全集. 第10巻』 毎日新聞社 1974年所収)より。

虚子によれば、作者は朝鮮総督府の役人で、現在は北朝鮮領である金剛山(韓国からの観光ツアーで話題になったところ)あたりに駐在していたとのことである。

任地高麗に二挺砧を聞く夜かな

という前書みたいな句もあげられている。

この友は、外地の中でもあまり人の行きたがらない僻地への転勤だったのだろうか。送別会で渋い顔をしている友に、作者やその他の友人は、「まあ2、3年の辛抱だから」とか、「住めば都だよ」とか、その手のことを云って慰めたりしたのだろう。

企業にせよ役所にせよ、組織の中にいる者は、人事異動と云うダモクレスの剣がつねに頭の上にぶら下がっていると思わなければならない。それは、自分の預かり知らぬところで話が進んでいて、不意打ちのように襲ってくる。さあ、どうする? 異動させられるのも嫌だが、させる側になってみると、やっぱり気が重い。

この夏、東京ドームのAKB48コンサートでは、「組閣」発表が行われて話題になった。これは、メンバーが各々どのチームに所属するかが決められる、まあ一種の人事異動である。正直云って、私のヲタ度では、誰がチームAからKへ変わったと云われても、その妙味は解しがたいのだが、自分の所属が決まった時のメンバーの表情はなかなか見モノであった。しかし、地方のグループとの兼務発令などと聞くと、職場の人事を思い出して、1ヲタとしていい気持ちで見ていたのが、いきなり社会人に引き戻されてしまう瞬間もあった。

びっくりしたのは、私がちょっと好きだった高城亜樹がジャカルタのJKT48に移籍になったことだ。他にも、宮澤佐江が上海のSNH48など海外移籍の人は4人ほどいた。グローバル展開に本腰入れているのが感じられて、私は感心したのであるが、後日、週刊誌の記事を見ると、当然のように「左遷」と表現されていた。中央から周辺部への異動が左遷であるという単純な図式が、強固に生きていて、人々の好奇心になじみやすい。

海外移籍に共感するのも、不幸な物語を期待するのと同じく、アイドル消費の一形態であり、べつに私が善人と云うわけではない。世間とは薄情なものだ。

池田の句も、薄情なかんじがしないでもない。友への同情、別れの寂しさが感じられる一方で、こう云うふうに事実経過を五七五にしてあると、どうしても他人事めいてくるのだ。俳句とは薄情な形式だ。

ただ、同僚の異動に対する視線は、明日は我が身と云うこともあって、仕方がないと云うあきらめがともなうもので、ある種薄情にならざるをえない。そのあたりの機微が、俳句形式によってうまく表現されたと云うこともできるだろう。

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